第6話

文字数 2,505文字

      *・・・*・・・*

 玄関で熊田たちと別れ、紺野と下平は、朱雀を先頭に左へ延びる廊下を慎重に進む。
 縁側になっているようで、左手はガラス越しに前庭とドラム缶が確認でき、右手は障子がずらりと並んでいる。
 昴が失踪したのは二年前。寮に入ったのは一年前。その間の一年は、ここで過ごしていたに違いない。先程外から見た限りでは、陽射しや月の明かりはほとんど届かないだろう。こんな薄暗い場所で一年もの間、世間から身を隠すように生活していた。満流たちと一緒に。
 昴は、満流たちとどんなふうに出会い、何を思い、何を語りながら過ごしたのか。
「ずいぶんと年季の入った家だな」
「見るからに昭和初期って感じですよね」
 人がよく通るためか、床板は真ん中だけ色褪せており、時折軋む音が薄暗い廊下に響く。障子の向こうでは、さっそく栄明が捜索に取り掛かっているようだ。懐中電灯の明かりが透けて見え、微かに物音がする。
 廊下は、縁側を過ぎると右に曲がっていた。左は一面壁、右は障子が並んでおり、正面には扉が一つある。
「結構奥行きがあるな」
「外から見るより広いですね」
 薄暗かったのではっきりとは見えなかったが、人数の割には小さいなと思った。だが、これなら全員で暮らせそうだ。
 突き当りの扉の前で朱雀が止まり、場所を譲るように浮上した。木製の扉は一枚。左への引き戸だ。廊下と引き戸の幅がほぼ同じなので、身を隠す場所がない。紺野と下平は壁へ背を預けた。朱雀も二人の頭上へ移動する。
 紺野が取っ手に手をかけた。
「開けます」
「おう」
 小声で宣言し、ゆっくりと引く。玄関と廊下の間仕切りは開けられていたが、出て行ったわりには障子や部屋の扉はしっかり閉まっている。使いがいるとはいえ、警戒して然るべきだ。
 半分ほど開けたところで、朱雀がすいと隙間から中へ滑り込んだ。数秒待ってから再びゆっくりと開け、中を懐中電灯で照らしながら足を踏み入れた。むっとした空気が体にまとわりつく。
 八畳ほどの和室は、真っ暗だった。正面は押入れ、左右は壁で塞がれ、左には本棚。そして扉脇に障子が閉め切られた腰高の窓が設けられ、その下に片袖の文机が置かれている。あとは、天井に吊り下げタイプの和風照明。紐で引っ張るアレだ。扉は廊下と同じ幅だった。おそらく、上から見ると横に出っ張っているのだろう。
 本棚には本が詰まったままだが、文机の上には小さなデスクライトが置かれているだけで、綺麗に片付いている。
「誰かの部屋だったみたいだが……」
 下平が小首を傾げて顎をさすった。
「何か気になりますか?」
「んー。ここって角部屋だろ。俺の部屋がそうなんだけど、本棚のところにも窓があってもおかしくねぇんじゃねぇかと思ってな。それでなくても日当たり悪そうなのに」
「ああ、確かにそうですね」
 立地や環境にもよるが、より光を取り入れるために角部屋のリビングなどは二カ所に窓が設けられていることが多い。
「だろ? まあ、建てた時の状況が分かんねぇから、何か理由があったんだろ。よし、ひとまず調べるか」
「はい。俺は押入れを調べます」
「おう」
 下平は、さてさてと独り言を呟きながら携帯のライトを点灯し、文机の前にしゃがみ込んだ。朱雀がすいと移動し、文机の上に着地する。何やら懐かれているな。
 八畳だ。さすがに悪鬼がいれば察知するか。紺野は少し気を緩め、襖を開けた。上下に分かれている、ごく普通の押入れ。しまい込まれていたのは、一組の布団とこもった熱気。懐中電灯を中へ入れて奥を覗くと、段ボールが一つ放置されていた。あとで確認だ。続けて下の段。こちらは、段ボールが三つだけ。
 紺野は逡巡し、しゃがんだまま振り向いてぐるりと畳を照らした。
 物を置いていたような跡がなく、綺麗なものだ。室内には本棚と文机。押入れには布団と段ボール。タンスの類がない。押入れをクローゼット代わりに使っていて、新しい潜伏場所にそのまま持って行ったのだろうか。
「有り得なくはないな」
 押入れの広さは十分ある。よほど物が多くなければ可能だろう。紺野は一人ごちて再び押入れに向き合った。
残されていた計四つの段ボールを確認したが、中身は空。根こそぎ持って行っている。
 紺野は嘆息し、振り向いた。
「下平さん、何か出ました?」
「んー」
 二杯ある文机の引き出しの片方を引っ張り開け、カチャカチャと何かを手で避けながら、下平は難しい声で唸った。
「いや。文房具なんかは残ってるけど、今んとこ何もねぇな。こっちの引き出しも空だった」
 片袖の引き出しも駄目だったらしい。溜め息交じりに言って引き出しを閉める。
「そうですか……」
 何か痕跡があればと思ったのだが、ここまで綺麗だと何もなさそうだ。他に部屋があるようだし、そちらも調べなければならない。本棚を確認して次へ移動だ。そう思い、紺野が本棚に向かった時。
「ん」
 下平が何かに気付いた。もう片方の引き出しを開けたまま手を止め、一旦閉めてまた引っ張り出す。
「どうしました」
「なんか引っかかってんな」
 何度か開けたり閉めたりを繰り返し、手を突っ込んで天板の裏を探る。
「お?」
 何かあったか。紺野は大股で歩み寄り、側にしゃがんだ。朱雀が興味深げに首を伸ばす。ぺり、と粘着質な音がして、下平は腕を引いた。二人と一体の視線がそれに集まる。
「手紙?」
 角に二輪の黄色いコスモスが描かれた、縦長の白い封筒だ。上下にセロテープがくっついており、表書きは真っ白だ。下平がくるりと裏返した。封がされていない。
「何も書かれてねぇな」
 下平は一枚の便せんを取り出した。封筒を文机に置き、丁寧に開く。封筒と同じデザインの便せんの中央に達筆な字で綴られていたのは、ほんの短い一文と署名だった。下平が読み上げる。
「どうか、満流を救ってください。楠井、道成(みちなり)……?」
 要領を得ない一文と初めて聞く名前に、困惑の空気が漂った。
 救って欲しいのはこちらの方だ。こんな事件を引き起こした主犯の息子を救えなど、お門違いもいいところだ。そもそも何から救えと言うのだ。
 道成とは一体誰で、何故こんな所に手紙を隠し、誰に宛てて書いたものなのか。
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