第18話

文字数 4,791文字

      *・・・*・・*

「じーぴーえす、というもので、場所を確認したのだ」
 山中で発見した男女の遺体の場所をどう確認したのか、という素朴な疑問に対して、紫苑はそう答えた。人気のない山の中、携帯を覗き込みながら操作する二人の姿を想像すると、不謹慎にもちょっとだけ和んだ。
 自ら命を絶った彼らに何があったのか。隗や皓は、遺体を見て何を思ったのか。それとも何も思わなかったのか。そんなことに思いを巡らせていると、宗史がぽつりと言った。考えすぎるな、と。
 どこの誰かも分からない彼らが、何故命を絶ったのか。それは、本人に聞かなければ分からないことだ。ならばせめて、最後に弔われたことを良しとしなければ。
 考えすぎると、流される。
 柴と紫苑からの報告を最後に会合が終わり、さてと訓練に入る皆を横目に、二人は遠慮がちに大河に言った。
「悪いが、今日も良いか」
 と。夜ではなくこのタイミングで申し出たのは、ちょうど式神がいたからだろう。そして二日連続で精気を求めたのは、明日のため。
 右近は香苗について庭に出ていたので、左近に治癒を頼んだ。
「多めに吸っていいからね」
 四人揃って部屋に行き、大河がそう言うと、二人は「かたじけない」と頭を下げた。噛み付き具合は相変わらず浅く、けれどいつもより時間は少し長かった。
 噛み付き方が浅いこともそうだろうが、こう何度も噛み付かれていると、いい加減慣れる。左近に火天や秘術のコツを教わりつつ、柴と紫苑が精気を吸い終わった頃、部屋の扉が鳴った。
「どうぞー」
 傷口をティッシュで押さえながら返事をする。開いた扉から顔を覗かせたのは、宗史だ。
「終わったか?」
「うん。今から治癒してもらう」
「そうか。柴、紫苑、ちょっといいか」
 部屋に入って後ろ手で扉を閉めた宗史に柴が頷き、紫苑は腰を上げた。
 明日の話かな。大河は左近から治癒を受けながら、立って向かい合う三人の話を何とはなしに聞く。
「今朝、潜伏場所を探りに行っただろう。その時、寮の周辺で何か見たり、気配を感じなかったか」
 柴と紫苑も、明日のことだと思っていたのだろう。思いがけない質問に、不思議そうに目をしばたいて顔を見合わせた。柴が答えた。
「いや、特に何も見ておらぬが」
「そうか……」
 嘆息した宗史は、どことなく困惑顔だ。
「どうした?」
 紫苑に尋ねられ、宗史が一瞬言い淀んだ。
「実は、さっき庭で訓練をしていて、おかしな気配を感じたんだ」
「おかしな気配?」
「ああ。どこかで感じたことがある気配のような気もするんだが、他に誰も気付いた様子がなくてな」
 口元に手を添えて考え込む宗史を、大河は左近越しに眺めた。このタイミングでそんな気配を感じれば気になって当然だが、宗史の他に誰も気付いていないとなると、気のせいかもしれない。けれど、感じ取ったのが宗史だ。あながち無碍にもできない。
 昴や敵側の誰かだったら分かるよな。と自分なりに思考を巡らせていると、左近から声がかかった。
「良いぞ」
「あ、うん。ありがと」
 完治していることを確認して、めくり上げた袖を下ろす。柴がこちらを振り向いた。
「何ともないか」
 大河はふと笑った。精気を与えたあとは、いつもこうだ。大丈夫だと言っているのに。いつもより多いとはいえ、この程度なら問題ない。
「大丈夫だよ。それより、宗史さん」
「うん?」
「そのおかしな気配って、嫌な感じ?」
 血のついたティッシュをゴミ箱に放り込み、腰を上げる。
「いや、そんな感じじゃなかったと思うんだが……」
 何だか曖昧だ。宗史にしては珍しい。気のせいかな、と一人ごちるものの、絶対に知っているはずの名前が思い出せずに悶々としているといった感じで、気持ち悪そうだ。
「気が昂っているのではないか?」
 不意に左近が口を挟んだ。宗史と左近の間を大河たちの視線が行き来し、やがて宗史が諦めたように短く息を吐いた。
「そうかもしれないな。悪い、変なことを聞いて」
 行こう、と苦笑いで促して踵を返した宗史のあとを、大河と柴と紫苑が素直に続く。
 気が昂っている。確かに、妙に神経過敏になっている感は否めない。まるで、高校の入学試験を明日に控えたあの日のように興奮気味だ。絶対に負けられないという緊張感とプレッシャーと、不安。それに加えて、宗史は椿のこともある。あれからまだ数日。敵の内情を細かく知るには日が浅すぎる。こちらへ戻るタイミングを椿に任せているのだとしたら、敵として対峙しなければならない。
 左近の言う通りかもな。大河はそう結論付けて、部屋から出た。
 火天はどうだ、さっき左近からアドバイスもらった、と話しながら廊下を歩く宗史と大河の背中を見つめ、左近は静かに部屋の扉を閉めた。

      *・・・*・・・*

 訓練をして宗史たちを見送り、夕飯を摂ったあと、下平に写真を送って欲しいとメッセージを入れた。宗一郎と明と陽。それと紺野、熊田、佐々木の分だ。すると、刑事組が下京署に全員集合するらしく、あとで送ってやると返事をもらった。
 しばらくして送られてきた写真は、どうやらわざわざ撮り直してくれたらしい。刑事組全員が揃っていた。後列に下平班の男性陣一同、前列に左端から熊田、佐々木、榎本、紺野の順だ。寮の写真は送ってあるけれど、それでもばらばらに送ると結構な数になるので助かった。
ただ、本来ならここに北原と近藤もいたのに――と思ったところで我に返った。この、いちいち感傷に浸る癖を直さなければ。
 下平に礼のメッセージを入れて、そのあと少しだけ訓練と筋トレをした。
 秘術は、五芒星は描けるけれど地面に刻むまでには上達しなかった。火天はやっと反応してくれるようになったが、まだ放つまで保つことができない。やっぱり実戦の方が早いかな、と樹に恐ろしいことを言われた。使いものにならなかったらどうしてくれる。
 筋トレは、もちろん筋トレグッズの出番だ。勇ましくハンドグリッパーに挑む双子や、使いやすいのか、仲良くきゃっきゃと楽しげにトレーニングチューブを試す女性陣とは反対に、男性陣は男の意地の張り合いが始まった。
 プッシュアップバーでの腕立ての回数や腹筋ローラーの往復回数、それと可変式のダンベルでどこまで持ち上げられるかが競われた。当然、柴と紫苑は論外。結果は意外にも弘貴がトップで、僅差で樹、怜司、茂と春平が同位、最後が大河だ。初めから期待はしていなかったものの、やはり悔しい。もっと励まなければ。
 エアコンは効いているが、変に盛り上がったせいで汗だくになって風呂に入り、明日に備えて皆が早めに自室へ引っ込んだ。
 大河は、写真と昼間に撮った訓練の動画、それと筋トレの様子を省吾たちへ送り、復習がてら訓練動画を見てベッドにもぐりこんだ。
 それが良くなかったのだろうか。夢の中でも樹の訓練を受けてしまい、全力で強化した霊刀を叩き折られたところで目が覚めた。
「……夢見最悪」
 霊力量だけなら樹以上のはずなのに霊刀を折られるなんて、縁起の悪い。大河は盛大に溜め息をつきながら体を起こし、携帯で時間を確認した。画面のまばゆい光に目を細める。午前一時過ぎ。まだ十分寝られるが、あんな夢なんぞ見たせいだろう、喉がからからだ。
 とりあえずこの喉の渇きをどうにかしようと、携帯を置いて部屋を出る。さすがに皆就寝したようで、窓から月の明かりが差し込む廊下は、熱気に包まれてしんと静まり返っていた。
 静かに蒸し暑い廊下を進み、階段を下りたところで、大河は足を止めた。リビングの扉が閉まっている。こんな時間に誰か起きているのだろうか。
 躊躇うことなくいつも通りの調子で扉を開けると、目に入った細い背中が大仰にびくりと震えた。
「あれ、美琴ちゃん」
 窓を開け、月明かりを浴びて縁側に腰を下ろしている美琴が勢いよく振り向いた。目をまん丸にしてこちらを凝視している。
「何してるの? 眠れない?」
 問いかけながら扉横のスイッチを押し、キッチンカウンターの真上に設置されたライトをつける。一方美琴は、慌てた様子で側にあった何かをくしゃりと引っ掴んで腰を上げた。紺色のラインが入ったオフホワイトのパジャマが可愛い。
「べ、別に。ちょっと目が覚めただけ」
 言いながら窓とレースのカーテンを閉め、小走りでキッチンカウンター横のゴミ箱に何かを放り込む。ふと、大河の横で足を止めた。
「……あんたは何してんのよ」
「俺? 俺はねぇ、夢の中で樹さんに霊刀を叩き折られて目が覚めちゃって。喉乾いたから何か飲みに来た」
 虚ろな眼差しでふふふと笑う大河を見上げて、美琴が気味悪そうに顔を歪めた。
「あっそ」
 そっけなく言い置いて横を素通りする美琴を目で追いかける。
「おやすみ」
「……おやすみ」
 美琴は振り向きもせずぼそりと答えて扉を閉めた。
 しんと静まり返ったリビングで、大河は改めて縁側を振り向いた。こんな時間に、電気もつけず縁側で一人。
「美琴ちゃんも、緊張してるのかな……」
 美琴は一度、昴の手によって人質になっている。樹がフォローを入れたとはいえ、まだ気にしているのかもしれない。それによくよく考えると、敵と正面から対峙したと言えるのは、寮の中では樹と茂と華の三人しかいない。属性や実力もいまいちはっきりしないし、緊張して当然だ。
「どうなるのかな……」
 宗一郎と明もいる。式神の数もこちらの方が多いし、柴と紫苑もいるのだ。人数的にはこちらの方が断然有利ではあるけれど、向こうには千代がいる。大戦での悪鬼の数は、廃ホテルの時とは比べ物にならないと柴が言っていた。今よりも陰陽師が多かったあの時代でさえも、多大な数の犠牲者が出ている。もし同じくらい悪鬼を従えて来たとしたら、敵うのだろうか。
 本来誰にも従うはずのない悪鬼を従える力。その方法も気になるけれど、悪鬼が従うということは、それだけ千代の力が強いという証拠ではないのか。逆らっても敵わないと本能で察した。だから従っている。悪鬼は、強大な力の前に屈したのだ。
 古の時代に神への生贄にされ、その恨みから悪鬼へと成り果てた少女は復讐を繰り返し、調伏された。そして身勝手な理由で蘇生され、今再び人への恨みを果たそうとしている。一度は解放されたはずなのに、なおもその恨みや憎しみは消えていない証拠だ。それに、千代の力は異質だと、柴が言っていた。彼女は、異質な力を得るほどの、強い恨みや憎しみをずっと抱えている。
 それだけ、千代は生きたかったのだ。
 大河は目を伏せると、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
 千代は悪鬼だ。この世を恨み、人々を食らう。放っておくわけにはいかない。できることなら、調伏せず浄化して次の生を生きて欲しい。でも、悪鬼となった以上、それもできない。
 大河はおもむろに両手を持ち上げ、頬に打ち付けた。パン、と静かなリビングに甲高い音が響く。残響に耳を済ませ、完全に消えてから、ゆっくりと瞼を上げた。
 今は、勝つことだけを考えろ。
「よし、寝る」
 大河は自分に言い聞かせた。その前にとキッチンに入ろうとして、目についたゴミ箱に視線を落とす。妙に焦っていたように見えたが、何を捨てたのだろう。
 人が捨てたゴミを見るなんて品がない。大河は数秒迷い、結局好奇心に負けた。ちょっとだけ。後ろめたさもあり、そろそろと首を伸ばして覗く。すぐにくすりと笑みが漏れた。空のゴミ箱にぽつんとあったのは、土産のまんじゅうの包装紙だ。
「小腹が空いてたのかな」
 山口名物利休まんじゅうは、小腹を満たすのにちょうどいい一口サイズだ。別に慌てて捨てることないのに。女の子がこんな時間にと思われたくなかったのか。それとも、意外と気に入ってくれていて、勘付かれたくなかったのか。それはそれで美琴らしい。
 大河は一人、笑いを噛み殺しながら冷蔵庫を開けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み