第3話

文字数 3,651文字

 それを知ったのは、店長に就任してから一年が経つ頃だった。
「ねぇ良親くん。良親くんって、前にアヴァロンで働いてたってほんと?」
 どこからの情報か。乾杯が終わるなり脈絡なく話を振ってきたのは、つい二、三カ月前に初めて来店した聖羅(せいら)という若い客だった。某銀行の役員の娘らしく、金払いもよくノリもいい太客だ。見るからに遊び慣れていそうな彼女は、きらきらしたネイルを施した指でグラスを傾けた。
「ほんとですけど。何で?」
「じゃあさぁ、店長の冬馬さん知ってる?」
 仕事中に聞きたくない名前だ。自然と眉根が寄った。客に不快な顔を見せるのはタブーだ。良親はそのまま少し唇を尖らせて顔を逸らした。
「紹介してくれって話ならお断り。聖羅さんをあいつに渡したくないすから」
 売上減るし、とは言わずにおいた。聖羅は口説き文句と取ったらしく、やだぁと甘えた声を上げて良親の腕に触れた。
「違う違う、そういうんじゃないから。あの人、格好良いけど遊んでくれなさそうだもん。あのねぇ……」
 そう言って聖羅は携帯を操作した。
「ほら見て、絶対驚くから」
 差し出された携帯を覗き込み、良親は目を疑った。
「――えっ」
 驚きのあまり聖羅の手ごと携帯を掴んで顔を近付けた。照明は落としてあるが、おかげで画像ははっきり見える。そこに映っていたのは、ホテルかどこかの催事場だろうか、大勢の人々を背景に艶やかな着物姿の聖羅と、同じく着物姿で穏やかに微笑む年配男性が一人。
「ね? びっくりしたでしょ、冬馬さんそっくり」
 確かに似ている、いや似ているどころではない。まるで冬馬本人が年を取ったと思わせるほど、生き映しだ。
「これ、誰だ……?」
 画面を凝視したまま尋ねる。思わず出たため口を気にする様子もなく聖羅は答えた。
桐生冬月(きりゅうふゆつき)って人。華道翠月流(かどうすいげつりゅう)のお家元だよ」
 冬馬のフルネームは、桐生冬馬。同じ名字に、冬。こんな偶然、有り得ない。
 良親はゆっくりと顔を上げた。どうしたの? と言いたげに首を傾げる聖羅を呆然と見やり、混乱する頭を働かせる。
「華道の家元って、それほんとか?」
「ほんとだよー。あたし、お母さんの言い付けでお華習い始めたの。その日は翠月流の花展があって見に行ったんだ。そしたらびっくりだよー、冬馬さんそっくりなんだもん。世の中には三人似た人がいるって言うけど、ほんとなんだねー。びっくりした勢いで写真撮ってくださいって言っちゃった」
 けらけらと笑い声を上げる聖羅をじっと見つめ、良親は再び携帯に目を落とした。年齢から考えて、おそらく冬馬の祖父。冬馬が、華道家元の孫。そんな家柄の男が、何故クラブで働いているのか。
「それだけじゃないよ、もう一つ面白い写真あるんだー」
 手を引いた聖羅の手を放す。聖羅は画面を何度かフリックし、ほらとまた見せた。こちらも着物姿だ。中年男性と眼鏡をかけた青年の間に聖羅が挟まっている。
「こっちはねぇ、家元の息子さんと孫なんだって。家元とぜんっぜん似てないよねー。遺伝子どこに行っちゃったのって感じ?」
 聖羅はまた楽しげに笑った。しかし良親にとっては笑いごとではない。孫の方は目元が多少似ているが、息子の方は似ていないどころか面影すらない。家元の息子ということは、中年男性は冬馬の父で青年の方は兄弟になる。いや、息子が一人とは限らない。
「なあ、家元の息子ってこの人だけ?」
 他に息子がいて、冬馬はそっちの血筋かもしれない。そんな憶測の下で尋ねると、聖羅は少し不思議そうな顔をして首を縦に振った。
「うん。あと娘さんが二人。そのうちの一人があたしの先生なの」
 娘なら名字が変わっているはずだが、婿養子あるいは離婚しているという可能性もある。聖羅は「ただねぇ」といたずらっ子のような笑みを浮かべ、良親の耳元に唇を寄せた。
「家元ね、女癖が悪かったらしくてお妾さんがいっぱいいたんだって。だから認知してない子供がいるんじゃないかって話だよ」
 ということは、冬馬は浮気相手の子供。遅くに授かったのなら考えられなくもない。いや、だったら桐生姓を名乗っているのはおかしい。母親が死んで養子として引き取られたというパターンだろうか。ここまで自分に似ていれば家元も情が湧くだろう。
 聖羅は唇を離し、スティック状のチョコレート菓子を摘まんだ。
「ただの噂話らしいんだけど、お母さんそれ信じてるみたいでね、写真撮ったあと、家元にはあまり近付いちゃ駄目よって言われちゃった。あんなおじいちゃん相手にするわけないのにねぇ」
 聖羅はぽりぽりとチョコをかじりながら、心外そうに唇を尖らせた。
「な、その写真送ってもらっても、って、悪いため口」
 初対面からのため口はマナー違反だが、それ以降は客によりけりだ。我に返って気付いた良親に、聖羅はうふふと笑みをこぼした。
「良親くんなら別にいいよー、気にしない。ため口の方が距離縮まった気がするもん」
 そう言いながら良親の腕に絡み付き、聖羅は携帯をいじった。ノリの良い女はこれだから助かる。すぐにポケットの携帯が震えた。
 割り込むタイミングを見計らっていたのか、同じ席についていたホストが、二人で盛り上がってないで入れてくださいよー、と拗ねた様子で会話に入ってきた。
 思い起こせば、冬馬の家族の話を一度も聞いたことがない。一緒に働いたのはたかが半年だったが、スタッフ間で家族の話題が出ることは何度かあった。そんな時、冬馬は黙ってただ聞いているだけだった。
 もしかして、何かあるのか。家に帰れない、あるいは帰りたくない理由が。

                 *・・・*・・・*

「はいこれ、頼まれてたやつ」
 理絵(りえ)は部屋に入るなりバッグから封筒を取り出して良親に差し出した。彼女は市役所に勤務する、良親の常連客だ。
「おー、サンキュ。さすが理絵さん、仕事が早いっすね」
 良親は封筒を受け取り、理絵の頬に口づけると浮かれた様子でソファに腰を下ろした。
「良親の頼みだから聞いたけど、さすがにこれ一回切りだからね? あと絶対人に見せないこと。あたしクビになっちゃう」
「分かってますって」
 さっそく封筒から取り出したそれに目を通す。理絵がバッグを床に置き、良親の隣に腰かけた。
「ねぇ、その人誰なの? 戸籍謄本が見たいだなんて」
 聖羅から件の話を聞いた翌日、理絵に連絡を入れた。桐生冬馬という人物の戸籍を取って欲しい、と。
「俺の想い人」
 戸籍に目を落としたまま返した適当な答えに、理絵はきょとんと目をしばたいたあと豪快に笑い飛ばした。
「やだぁ良親。あんたの女好きはよく知ってるわよ。しょうがないわねぇ、聞かないでおくわ。その代わり」
 言いながら理絵は良親の耳元に唇を寄せた。
「約束通り、今日はサービスしてもらうわよ」
 色気たっぷりの声で囁かれ、良親は間近に迫る理絵を振り向いた。触れるだけの口づけを交わし、にっと不敵な笑みを浮かべる。
「当然。こんなことしてもらってサービスしないわけにはいかないっしょ」
 理絵は満足そうに小さく笑うと、先にシャワー浴びてるわね、と言い残して腰を上げた。
 浴室へ向かう理絵の背中にひらひらと手を振り、良親は背をもたれて小さく唸った。
 あんな家柄に生まれておいてクラブで働き、家に帰っていない節がある。しかもあの容姿。似ているというレベルを超えていた。隔世遺伝だとしても、あれほど父親に似ないものだろうか。まさか冬月と冬馬の母ができていた、なんて過激な深夜ドラマ展開ではあるまい。
「まさか」
 息子の嫁に手を出す父親など、ドラマの中だけだ。良親は一人ごち、改めて確認する。
 父親の名前は梅斗(うめと)、母親は紗弓(さゆみ)、弟は柊斗(しゅうと)。弟は父親と同じ花の名前を持っている。こういう習わしなどにうるさそうな家柄なら、長男に父親の一文字を継がせるイメージがあったのだが。しかし梅斗も冬月から継いでいない。だがもしそうなら、梅斗の長男は柊斗になる。名前の由来も納得がいく。では冬馬は? 養子ならその旨が記載されているはずだがそれもない。
「やっぱ泥沼展開かぁ……?」
 冬月と紗弓ができていて、生まれた子は冬月に瓜二つだった。ゆえに二人の関係が露呈し、しかし世間体を考えると離婚もできず梅斗の子として育てられた。しかも冬月が自分の子だと主張するような名を付けた。当然梅斗は面白くないだろうし、もし弟が兄の出生を知れば不快に思うだろう。不貞の果てに生まれた子供を兄と呼ばなければならないなんて。結果、周囲から疎んじられ、耐え切れずに家を出た。そう考えるなら辻褄は合う。
 長く息を吐き出すと、良親ぁ、と浴室から理絵の反響した声が届いた。気の抜けた声で返事をし、ひとまずテーブルに置く。目に止まったのは、本籍地。
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