第11話

文字数 5,530文字

「えーと、次は田代の検視結果か」
「お願いします」
 笑みを含んだ声で促され、紺野は手帳のページをめくる。
「こっちは、切り口は同じく綺麗で一刀両断されてるらしい。胸に空いた穴も道具を使った痕跡はなし、心臓も抜かれてた。ただ、四肢と首の切断面から生活反応が見られたそうだ。胸の方はなかった」
「つまり、生きたまま両手足と首を切り落とされ、出血死した後に心臓を抉られたということですか」
「そうだ。それから、喉の奥から繊維片が見つかってな、今鑑定中だ。多分、悲鳴を押さえるのに布か何かを突っ込んだんだろうな。保津川の側だし、ある程度抑えちまえば水の流れで掻き消される」
「布、ですか……」
 明が神妙な声で呟いた。
「どうした」
「いえ、わざわざ布を使ったのかと思いまして」
 紺野と北原は顔を見合わせた。
「どういう意味だ?」
「千代が悪鬼を従えているのなら、頭部を悪鬼に食わせてしまえば悲鳴は漏れません。確実性ならそちらの方が高いです」
「え、でも同化するんですよね?」
 北原が口を挟んだ。
「食われてすぐというわけではないんです。短時間で調伏してしまえば助かります」
「あ、そうか。昨日の奴らもそうでしたね」
「どちらにしろ悲鳴は抑えられるにしても、確実性が低い方を選んだってことだよな」
「それってつまり……」
 北原が顔をしかめて言葉を切った。
「相当恨んでたってことだな」
 頭部を悪鬼に食わせると、表情が見えない。切り刻まれていく自分の体を目にし、絶望と苦痛に泣き叫ぶ顔を見たかったのか。殺害方法といい、強烈な憎しみゆえの選択だ。
「あ、じゃあ、田代は悪鬼に食われて亀岡まで運ばれたんですかね? 俺、鬼だとばっかり思ってましたけど」
「有り得なくはないです。同化する速度は一定ではないので何とも言えませんが、手段としては一番手軽です」
 北原が渋面を浮かべた。
「俺もそうですけど、悪鬼を使われると見えない人は何も対処できないんですよねぇ。……あれ? でも昨日の悪鬼は見えましたよ?」
「ああ、それは邪気が強力なせいです。大広間を埋め尽くすほど一体化した悪鬼なら、霊感が弱い人でも見えてしまうんですよ。ほんのわずかでも、人は必ず霊感を持っていますから。第六感もその一つです」
「えっ、俺にもあるってことですか?」
「もちろん」
 そうなんだぁ、と何故か目を輝かせる北原を、紺野は白けた視線を向けた。自分の意思と反して見たくもないものが見えることの、何がそんなに嬉しいのか。
 すっかり話が逸れてしまい、紺野は、あいつらのこと言えねぇな、とこっそりバツの悪い顔をした。気を取り直すように息をつき、手帳に目を落とす。
「後は大した収穫ねぇな。白骨遺体の遺留品も見つかってねぇし、足跡痕(ゲソこん)も量産品か不鮮明なものばかりで手掛かりにはならねぇ。田代の携帯の履歴からも何も出なかった。つーか、ほとんど使用されてない。それから、田代が姿を消してから殺害されるまでかなり時間が開いてるだろ。どこかで拘束されてた可能性が高いわりには、遺体にその痕跡が見当たらねぇし、睡眠薬なんかのクスリも検出されてねぇんだ。だから犯人は知り合いじゃねぇかって見方も出てる。白骨遺体との関係性と一緒に、以前の職場や交友関係の中で、不審な奴や行方が分からなくなってる奴がいないか今調べてる」
 えーと他には、と手帳をめくる。捜査情報に警察の動き全てを報告し、明の意見を聞くとなると時間がかかる。伝え忘れがあったらあったで、取り返しのつかないことにならないとも限らない。北原も自分の手帳を繰り確認する。
「一つよろしいですか」
「ん、何だ?」
「殺害現場が何故その場所だったのかというのは?」
「あー、それがあったか。田代の父親は心当たりがねぇって言ってる。まあ離婚してるしな。白骨遺体の方かもしれねぇから、身元が判明するまで分からん。そもそも意味があるのかも謎だ」
「そうですか、分かりました」
 手帳を繰り、こんなもんか、と呟くと、北原もそうですねと手帳を閉じた。
「報告は以上だ。他に質問あるか?」
「いえ、特には」
 紺野は手帳を上着のポケットにしまいながら言った。
「じゃあこっちからだ。菊池雅臣のことは聞いてるな」
「はい」
「奴の詳細については、今夜下平さんと合流して話を聞く。多分、下平さんの推理は当たってるだろうから、目新しい情報はないかもしれんが一応」
「分かりました、お願いします。下平さんに、ありがとうございましたとお伝えください。それと、念のために私と宗一郎さんの連絡先を教えておいて頂けますか。宗一郎さんには承諾を得ていますので」
「分かった、教えとく。それと平良だ。身元は調べるが、その後はどうする。何も出てこねぇだろうけど、一応身辺を調べるか?」
「そうして頂けますか。報告を聞く限り、ずいぶんと好戦的のように思えます。性格などが分かれば、対峙した時の対応策が練れますので。一緒に菊池雅臣と平良の顔写真を送ってください」
「分かった。菊池の方は下平さんに頼んどく。あと、今さらなんだが、近藤からの報告だ。犬神事件の時、公園の防犯カメラ映像が真っ暗になったって言っただろ。あれな、高級な縮緬(ちりめん)っていう織物らしい」
「おや、また贅沢ですねぇ」
 お前が言うなと言いたい。あんな屋敷に住んでおいてよく言えたものだ。紺野は頭を上げた嫉妬を振り払うように咳払いをして続けた。
「それとな、香苗のことなんだが、あいつが寮に行ったとされる時期以前に、周辺で小規模な地震があったという証言が出た。有り得るのか?」
「ああ、そのことですか。属性のことをお話していませんでしたね」
「属性?」
 はい、と返事をした後、明は術者には個々に属性があることを話した。
「なんかゲームみたいですねぇ」
 北原が、へぇ、と感心しながら暢気な感想を漏らした。異論はない。
「香苗は大河くんと同じ土、大地に属しています。お調べになったのなら察しはつくでしょうが、当時の彼女には、過多なストレスがかかっていました。向小島で大河くんが無意識に術を発動させた時と同じと考えてください」
「ああ、なるほど。ストレスから力が暴走したって感じか」
「はい。香苗は――」
 明は一旦言葉を切り、どこか憂いを含んだ声で言った。
「あまり、自己主張をしない子ですから」
 中学校で対応してくれた春日の話を思い出す。自己主張をしない消極的な子だった、と。
おそらく、地震が小規模だったのもそれが理由だ。自分で力のことに気付いていたかどうかはともかく、押さえ切れないほどのストレスから力が暴走し地震は起こったものの、必死に感情を押さえ込んでいたのだろう。溢れているにも関わらず箱いっぱいにものを詰め込んで、無理矢理蓋を閉じようとしている。そんな感じだろうか。
 自己主張をしないのも、消極的なのも否定する気はない。けれど、家庭環境によって極端に形成されたのだとしたら、不憫だとも思う。元来の香苗は、どんな性格の少女なのだろう。
「明さん」
「はい」
 北原が口を開いた。
「今は、どうなんですか?」
 心配そうな横顔をちらりと見やる。
「そうですね、少しずつですが、変わっていますよ」
 そう答えた明の声色は、酷く穏やかだった。内通者の問題はあるにしろ、心配しているのだろう。
「そうですか、良かったです」
 北原は安心した面持ちで頬を緩めた。明といい、二人とも人が良い。紺野は少々呆れたような笑みを浮かべた。
「他には何かありますか?」
 そう尋ねられ、紺野は渋い顔を浮かべた。気にはなるが、余計な詮索だろうか。
「あー、あのな、鬼代神社のことなんだが」
「はい」
「佐々木って先輩刑事が、ちょくちょく行ってるみたいなんだよ」
「ああ、伺っています。佐々木薫子さんですよね」
「知ってたのか」
「ええ。先日、お嬢さんから連絡をいただきました。とても良くしていただいていると。高校を卒業したら、神職の資格を取って神社を継ぐというお話も聞きました」
 それも聞いていたのか。紺野は一瞬戸惑い、けれど結局口を開いた。
「俺が口を挟むことじゃねぇんだけど……今までの報酬って、どうするんだ?」
 頭を掻き、少々躊躇いながら尋ねると、明がふっと小さく笑い声を漏らした。悟られている。
「千年以上、土御門家に仕えて頂いたのです。千代の骨が盗まれたからといって縁を切るのは、あまりにも薄情だと思いませんか」
「てことは……」
 口を開いたのは北原だ。
「ええ、これまで同様、ご支援させて頂きます」
 本殿の修繕費もかかりますしねぇ、といつもの暢気な口調に戻った明の声を聞きながら、紺野と北原はほっと安堵の息をついた。いくらこれまで報酬を多く受け取っていたからといっても、これから修繕費や学費で多額の金が必要になるだろう。
「安心して頂けましたか?」
「はい」
 素直に返答した北原とは逆に、紺野はぐっと声を詰まらせた。心配していたのは筒抜けなのだから隠す必要はない、と分かっていても照れ臭い。そもそも分かっていて聞いてくる明も明だ。
 この野郎、と心で悪態をつきながら「まあな」とぶっきらぼうに返す。北原が苦笑いを浮かべ、明が喉の奥で笑った。七つも年下なのに勝てないのは何故だ、腹立たしい。
「ああ、そうだ。昨日のことですが」
「うん?」
「寮の者たちにはお二人と下平さんがいたことは話しませんので、口外しないようにお願いします」
 そう言われて、紺野は目を据わらせた。
「おい、前から気になってたんだがな」
「はい?」
「お前ら、初めから寮の奴ら疑ってただろ。なんで言わねぇんだ、情報も流してねぇだろ」
 昨日、樹は宗史たちに疑いは晴れたかと聞き、宗史は樹に話していない件があると言っていた。そして、さっき明が言った「期待していた」という言葉で確定だ。陰陽師家直系の者たちと大河は、初めから寮の者たちに疑いを持っていた。
「それはほら、仲間を疑っているなんて、それこそ薄情じゃないですか」
 電話の向こう側で癪に障る笑みを浮かべる明が脳裏に浮かび、紺野はこめかみに血管を浮かべた。
「何言ってやがる! 警察内部に協力者がいるって言ったのはお前らだろうが!」
 人には仲間を疑わせるような情報を流しておいて、自分たちは厚情を装うなんて図々しいにも程がある。その上、取って付けたような理由をよくもいけしゃあしゃあと口にできるものだ。
「おお落ち着いてください紺野さんっ、気持ちは分かりますけどっ」
 携帯に噛みつくような勢いで憤慨した紺野に、北原が手を伸ばして素早くペットボトルを差し出した。一方、明はと言えば、くつくつと声を殺したように笑っている。こいつは狸というよりただの性悪ではないのか。
 紺野はペットボトルをひったくり、勢いよく煽った。喉を鳴らしてほぼ飲み干して長く息を吐き出す。
 落ち着け、七つも年下の相手に本気になってどうする。俺は大人だ。紺野は自分に言い聞かせながら、力任せに蓋を締めた。
「そういや、昨日宗史が言ってたんだけどな」
 気を逸らすために話題を変える。
「はい」
「近々大きく事態が動くってのは、何だ?」
「申し訳ありませんが、それはまだご説明できません」
 硬い声色で明瞭に言い切られ、二人揃って怪訝な表情を浮かべた。樹と怜司にも一存では話せないと言っていたが、知られるとそんなに都合が悪いことなのか。
「お二人や樹たちを信用していないわけではないのです。ですが、今の段階ではできる限り知る人間は少ない方が、都合がいいんです。ご理解ください」
 この声は、本心だ。煙に巻こうとしているでも、嘘をついているわけでもない。本当に何か理由があって話せないのだ。
「分かった、これ以上詮索しねぇよ」
「ありがとうございます。時期が来た時には必ずお話します」
「ああ」
 紺野は息をつき、ペットボトルをドリンクホルダーに戻した。
「とりあえずこんなところか」
「ええ、私からも特に」
「じゃあな。後でまた連絡する」
「はい、よろしくお願いします」
 おう、と軽く返答し、紺野は通話を切った。もう一度深い溜め息を漏らす。
「ったく、一体何を隠してんだか……」
「俺たちが言えた義理じゃないですけどね」
 苦笑いをして指摘した北原に、紺野はまあなと同意しながら携帯をポケットにしまった。
「ていうか、俺今頃気付いたんですけど」
 複雑な面持ちで車を発車させる北原を横目で見やる。
「今でこそ樹くんと怜司くんが敵じゃないって分かってますけど、昨日まで大河くんは、内通者かもしれない人たちに囲まれて生活してたんですよね」
「ん、ああ、そういわれりゃそうか」
 紺野たちは大河も疑っていたため気付かなかったが、彼は初めから内通者がいる可能性を知っていたのだ。それなのに、寮で楽しそうに笑っていた。
「……結構、肝が据わってんのかもな」
 昨日の乱闘から見て、大河は喧嘩慣れしていない。かなり緊張していたし、多少訓練は受けているようだったが、樹らの足元にも及ばない程度だ。それなのに、何度も立ち向かっていた。男なのだから喧嘩の一つや二つと思わないこともないけれど、初めての乱闘でああも動けるのは、それほどの決意があるということなのだろう。
 やはり、祖父のことか。
「強いですね、大河くん」
 感心したように、けれど心配そうに呟いた北原に、紺野はそうだなと小さく返した。
 共に暮らした者の中に、裏切り者がいる。年単位でひとつ屋根の下で暮らせば情も湧くだろう。大河たちは今どんな心境で、内通者は何を考えながらこれまで生活していたのだろう。いつか、敵になる者たちの中で。
「とりあえず戻って平良と譲二の身元を調べる。身辺調査してから例の事件だな」
「了解です」
 紺野と北原は、府警本部へと車を走らせた。
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