第9話

文字数 4,849文字

 場所を確認して出発した閃を見送ると、宗一郎が動いた。その先には、結界に守られた草薙たち三人。宗史と右近を見つめたまま、揃って魂が抜けたように呆然としている。
 霊刀を具現化しながら歩み寄る宗一郎の足音に、草薙がはっと我に返った。ひっ、と上がった悲鳴に呼応するように龍之介と(したなが)が正気に戻る。
「もも、申し訳、ありません……、どうか、命だけは……っ」
 草薙が命乞いをし、団子さながら、三人は身を寄せ合って地面を後ろへ滑る。すると、バリッ! と結界が火花を散らした。ぎゃっと揃った悲鳴を上げて前へ飛び退き、その拍子にまた結界にぶつかって火花が散った。結界が見えないため、範囲が分からないのだ。
 そっちに寄れ、お前こそ、押すな、と見苦しく場所取りをする大人三人の姿はあまりにも情けなくて惨めで、見ているこちらが恥ずかしくなる。大河は憐みの目で彼らを眺めた。
 宗一郎は、そんな草薙らを無視し、無言で霊刀を振り上げた。今度は悲鳴すら出ないらしい。草薙たちは、体を縮めたり交差した腕を上げたりして、身を守る。龍之介に至っては父親を盾にする始末だ。しかし「ああ、あいつならやるよな」と思うような人格なので特に驚きはしなかった。
 甲高い音を響かせて、結界が割れた。むしろ驚いたのはこちらだ。志季の結界を構えもせず、ひと振りで。
「改めて問う」
 草薙たちが我に返るのを待たずに、宗一郎は霊刀を消して口を開いた。
「鬼代事件の首謀者は、誰だ」
 ゆっくりとした口調は、言外に二度は聞かないと言っている。ガチガチと噛み合わない歯を鳴らす三人に、宗一郎が無言で霊刀を振り上げた。
「くくく楠井(くすのい)だよ、楠井道元(くすのいどうげん)!」
 宗一郎が訝しげに眉根を寄せた。
「何者だ」
 問い返すと、龍之介は「ああそうか」と言った顔をした。
「い、今は楠井になってるけど、何代か前までは楚和(そわ)って名字だったって」
 それを聞いて渋面を浮かべたのは、晴と陽、栄明、樹、怜司、志季と右近だ。
「なるほど、そういうことか。潜伏場所と連絡先は」
 草薙が掠れた声で答えた。
「ひ、兵庫県の加古川です。れ、連絡先は……」
 早口で訴えながら、草薙は上着の内ポケットを探った。樹と怜司、紺野が動いた。
「お前らも携帯出せ。早くしろ」
 紺野に強く要求されて、龍之介と二は慌ただしくポケットを探る。それぞれから携帯をひったくり、電話帳やメッセージ、通話履歴の確認を始めた。
 その間に宗一郎の尋問が行われる。
「楚和家をどうやって探し当てた」
「ぐ、偶然だったんです」
 それだけ答えると、草薙は龍之介を肘でつついた。龍之介は鬱陶しそうに顔を歪め、開き直ったような仏頂面で言った。
「三、四年くらい前に、ツレと心霊スポットに行ったんだよ。結構有名な所らしいけど」
「武家屋敷か」
「そうそれ。そこに中学生くらいの奴がいて、すげぇびっくりしたんだけど、よく見ると人間じゃねぇか。こいつも肝試しに来たんだと思って声掛けた。一人で来るなんて度胸あるなって。お札持ってたし、場所も場所だったから、陰陽師のまねごとかって聞いたら、蘆屋道満(あしやどうまん)の子孫だって言うんだよ。そんときは俺ら全員笑い飛ばした。あいつもちょっと冗談っぽかったから。でも、そのことを親父に話したらマジにしてさ。探せって言われたから探した。でも、近所の奴らに聞いてもそんな奴は見たことないって言うんだよ。マジで幽霊だったんじゃねぇかと思ったけど、もう一回、同じ時間に武家屋敷に行ったらいたから、色々聞いてこっちの連絡先教えて親父に報告した。そしたら、道元の方から会いたいって連絡がきたんだよ」
「子供の名前は」
楠井満流(くすのいみつる)
 楠井道元に、満流。安倍晴明と蘆屋道満はライバルだった。映画やドラマでの知識だが、もしそれが史実で、楠井親子が道満の子孫だったとしたら、大昔の恨み、だろうか。ならば、草薙と手を組んだのも頷ける。
「会ったのは楚和家か」
「いや、神戸のホテル。場所は向こうから指定してきた。自宅には行ったことねぇ」
 うんうんと草薙と二も大きく頷く。宗一郎はしばらく三人を見つめ、樹たちに尋ねた。
「出たか?」
 樹たち三人から、うーん、と悩ましげな声が漏れる。
「確かに楠井って登録も着信もあるけど、これ固定電話の番号だよ。携帯は見当たらない。メッセージもないよ」
「俺の方もありませんね」
「こっちもです。つーかお前ら、偽名で登録してねぇだろうな」
 怜司が追随し、紺野が指摘してじろりと睨んだ。草薙たちが肩を竦め、揃って首を横に振る。
「け、携帯は持ってないって言ってた」
「持ってない?」
 龍之介の情報に、樹らが声を揃えて反復した。
「二人共か」
 紺野が続けて問うと、龍之介が何度も首を縦に振った。
 最近なら中学生でも持っているが、持っていない子もいる。不自然ではない。しかし今は高校生、あるいは大学生か社会人だ。ましてや父親は仕事で必要だろうし、持っていない方が不自然だ。一体何をしている人なのだろう。
「念のためにかけてみる?」
「ああ」
 樹が携帯を耳に当てた。
 と、右近が息を吐きながらかざしていた手を離し、同時に夏也と香苗が戻ってきた。大河と紫苑に合流する。
「傷は完治したが、出血はどうにもならん。しばらく目を覚まさないだろう」
「分かった。夏也、香苗、報告を」
「はい。近所の方々には、地震の影響で庭の木が倒れ、その拍子に上がった砂煙だと説明しました。被害状況を窺いましたが、多少食器などが割れた程度で、怪我をされた方はいません」
 これで怪我人が出たら申し訳が立たない。大河はほっと胸を撫で下ろし、改めて周囲を見渡した。うわ、と渋面を浮かべる。間仕切りをはじめ、桜の木は倒れただけでなく無残にも木屑と化し、地面にも無数の穴が開いている。こうも惨憺たる光景なのに離れが無傷なのは、氏子と秘書たちがいたからだろうか。
「そうか。では、香苗」
「はい。藍ちゃんと蓮くんが起きてしまって、少しぐずっていたようですが、落ち着いてきています。それと、妙子さんに宗史さんのことをこっそりお伝えしたら、部屋を用意しますと」
「ああ、ではお言葉に甘えよう。右近、運んでやってくれ。香苗、その間だけ双子を頼む。宗史を見せるな」
「はい」
「承知した」
 ゆっくりと抱え上げられて運ばれる宗史を、陽と栄明が心配そうな目で見送る。香苗が小走りに寮へ戻った。先に妙子と交代するのだろう。律子と共に目の前を通り過ぎる宗史の姿を見て、大河は唇を噛んだ。
 そういえば、出会って初めてだ。こんな彼の姿を見るのは。
「樹、どうだ」
「駄目。繋がるけどやっぱり出ない」
「だろうな」
 草薙を殺さずに置き去りにしたのなら、こちらに情報が伝わるのは想定内だろう。ということは、すでに潜伏場所を変えている。
 宗一郎は栄明を振り向いた。
「番号を越智さんに」
「分かった」
 番号から住所を特定するのだろう。栄明は樹から携帯を受け取り、縁側に駆け戻った。
宗一郎は、改めて草薙たちに目を落とした。
「別の潜伏場所は」
「し、知りません。本当です!」
 先手を打つところを見ると、自分への信用はないと自覚しているようだ。宗一郎は真偽を探るように草薙を見据え、質問を変えた。
「先の会合で、土御門家、刀倉家、宗史を外そうとした理由は」
 廃ホテルで上がった疑問だ。あの矛盾した言動のせいで、草薙が敵側と繋がっているのかいないのか、判然としなかったのだ。
「あ、あれは、そう言えと言われて……」
「こちらを混乱させる狙いか」
「おそらく……」
 草薙や龍之介のことは昴から情報が入っていただろうから、こちらが草薙を疑い、かつ言動の矛盾に疑問を抱くことを予想するのは十分可能だ。それでなくても、目的が一致していたのなら、加賀谷のことを含め六年前のことも知っているだろうし、連絡を取り合っていたのなら人物像くらい把握できるだろう。
 おそらく敵側は、初めから草薙たちを裏切るつもりで手を組んだのだ。ただ、草薙たちが犯した罪を知っておきながら何故手を組んだのか、その理由はやはり分からない。彼らの標的基準から考えると、草薙たちは見事に当てはまる。加賀谷と繋がりがあったからだとしても、ならばここで切り捨てるのは得ではない。何か、他にメリットがあったのだろうか。
 今さらバツの悪そうな顔をして俯いた草薙に、遠慮のない溜め息が漏れる。まんまと踊らされた。
「次だ。敵の名前を全員答えろ」
「は、はい」
 草薙はゆっくりと、記憶を辿るように彼らの名を口にした。
「楠井親子に、栗澤平良、渋谷健人、菊池雅臣、深町弥生、玖賀真緒、それと、朝辻昴です」
 さらに千代と隗、皓が加わる。総勢十一名。紺野が唇を一文字に結んだ。
「間違いないな」
「は……、わ、私が知っている限りでは」
 保険をかけた。間違っていた時の保身だろう。草薙が全員知っている保証はない。まだ増える可能性がある。
「式神は何体だ」
「い、一体だけ、と聞いております」
「蘇生術は誰が構築した。その方法は」
「構築したのは、満流だと。方法は知りません」
 え、と全員から驚きの声が漏れた。父親ではなく、子供の方が構築したのか。ということは、陰陽師としての知識も才覚もかなりのものだ。
 宗一郎は逡巡し、再び口を開いた。
「では最後の質問だ。千代を復活させた意味を、正確に理解しているのか」
「――は?」
 間の抜けた声を上げ、呆気に取られた顔を上げた三人に、誰もが怪訝な顔をした。何だその反応は。
「まさかとは思うが、自分たちだけは助けるとでも言われたか?」
 千代の復活は、この世の破滅を意味する。それなのに、何故手を組んだのか。草薙たちはそれを望んでいないようだし、健人や雅臣には家族がいる。昴だってそうだ。朝辻の義父母がいるのに、どうしてと思っていた。もし、自分たち、あるいは家族は助ける、保護すると約束されたのなら、手を組むかもしれない。でも――。
 腑に落ちた顔をした大河とは逆に、草薙たちはしばし怪訝な顔で逡巡し、そして、じわじわと顔色を青くした。気付くの遅いよ、と樹が呆れ気味にぼやいた。
 彼らは裏切られ、見捨てられたのだ。ということは、つまり。
「敵側は、ほとんどの者が犯罪被害者、もしくは遺族だ。事件関係者以外で、これまで鬼の餌にされた者たちは罪を犯している。つまり、奴らの狙いは犯罪者」
 これから先、草薙親子と二は奴らに狙われる可能性が高い。しかし、もし狙う気ならこうして置き去りにせず、さっさと悪鬼に食わせるなり殺すなりしているはずだ。昴もいたのだから。だが、絶対に狙われないとは、断言できない。
 ああ、そうか。大河はもう一つ納得した。内通者(すばる)がいなくなってからこうして敵側の情報を聞き出したのは、殺害される可能性があったから。草薙たちは、敵側の内情や潜伏場所を知っている。雅臣たちの素性を隠す気がなくても、首謀者は未だ姿を現さない。潜伏場所についても、結果として変えていたようだが、こちらからしてみれば何も分からない状態だった。首謀者と潜伏場所を隠したいのなら、昴がいる前で安易に情報を吐かせるのは危険。敵側がどう動くか分からない以上、慎重にならざるを得なかったのだ。
 パターンとしては、良親の時と似ている。ということは、草薙から情報が漏れる前提で置き去りにした。敵側の素性は、おそらく調べてもまた何も出ないのだろう。そして潜伏場所は分からない。全て、計算ずくだ。
 やっと身の危険を自覚し、草薙たちは恐怖に体を震わせる。
 もし、本当に草薙たちが悪鬼に食われ、あるいは鬼たちの餌食にされたとしたら、どう思うだろう。良親たちや雅臣をいじめていた奴ら、弥生の義父、健人の妻子を殺した田代、小田原を利用した沙織、香苗の父親、茂の妻子を事故死させた山下。比べるものではないけれど、彼らとは比にならないほどの罪深さだ。宗一郎が言ったように、どう償っても償いきれない罪を犯してきた。当然の報いだと思うだろうか。それとも、殺すことはないのにと、思うだろうか。
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