第11話

文字数 4,516文字

 駐車場で車を方向転換した華を含め、一斉に視線が向けられる。女性が一人車外に出ているが、彩はおらず熊田が車内を覗き込んでいた。一体何ごとだ。
「お前なんでこんな所に……っ、てか男に置き去りにされたってどういうことだ!」
「うるさいな、こんな所で叫ばないでよ!」
「これが叫ばずにいられるか! いいから出て来い、どういうことか説明しろ!」
 まさかなどと考えるまでもない。引っ張らないでよ、と文句を言いながら引っ張り出された彩は、間違いなく熊田の娘だ。
 マジか、と下平は呆然と呟いた。余計なことを言ってしまった。だがさすがに熊田の娘だとは思わないしこればかりは仕方ないと思うが、罪悪感を覚えずにはいられない。戻ってきた佐々木も、車から降りてきた華と茂もきょとんとした顔で二人を見守っている。
「お、おじさん、彩の話も聞いてあげてよ」
 女性が果敢にも鬼の形相をした熊田と彩の間に割って入る。さすがに余所様の娘にまで怒鳴ることはできないらしい、熊田はしかめ面で深く息を吐き、改めて彩を見据えた。
「彩、ちゃんと話した方がいいよ。もう決めたんでしょ」
「……別に、そういうわけじゃ……」
「さっきの彩見てたら分かるよ。あんなわけ分かんない時にあんなことできるんだから」
 友人の台詞を聞いて、下平はピンときた。これはもしかして。
「彩、何の話だ」
 ほら、と友人に背中を押されても、彩は俯いたまま頑なに口を開こうとしない。痺れを切らしたのは友人だ。
「あのねおじさん、彩ね」
「ちょっと美紀(みき)……っ」
「どうせあとで分かるんだから、今言っても一緒でしょ」
 美紀と呼ばれた女性に諭されて、彩は唇を尖らせた。そしてぷいとそっぽを向くと、やけくそ気味に言った。
「あたし、警察官の採用試験受けるから。来年受験だし、警察学校入ったら自由に遊べなくなるでしょ。だから今のうちに遊んでおきたかったの。悪い?」
 やっぱりだ。おや、あら、と意外そうに目を丸くしたのは茂と華で、くすりと笑ったのは佐々木だ。そして下平は、頬を緩めた。突っ込みどころはあるが、一人娘から「絶対に警察官と結婚なんかしないし警察官なんかにならない」と言われ続けていた身としては羨ましい限りだ。
 しかし熊田は、そっぽを向いたままの彩を呆気にとられた顔で見つめている。相当予想外の答えだったらしい。反応がないことに怪訝な顔をした彩に、熊田がはっと我に返った。
「いやでもお前、この前は短大行くって……」
「あの時はまだ迷ってたの。警察官が大変なの知ってるし。でも……」
 彩はもごもごと言い淀むと、もう! と声を上げて熊田を睨んだ。
「そんなの今はどうでもいいでしょ! なんか大変な事件なんじゃないの!?」
 度胸もあるし察しも良い。警察官に向いているかもしれない。う、と声を詰まらせ、煮え切らない顔をした熊田を見かねたのは佐々木だ。
「熊さん、とりあえず引き上げましょう」
 佐々木は笑いを噛み殺しながら、さりげなく彩たちに手招きして車の方へ誘導した。
「あ、ああ、そうだな……」
 熊田の気持ちは実によく分かる。事件のことも気になるが、娘が突然警察官になると言い、男に置き去りにされたなどと聞いては、父親としては事件どころではない。彩たちも聞きたいことはあるだろうが、熊田もまた同じだ。移動する彩たちの後ろに続く熊田の顔がうずうずしている。
「下平さん」
 笑いを噛み殺す下平を、榎本が睨むように見上げて言った。
「明日、約束ですよ」
「おう。俺は約束を守る男だ」
 榎本がどうやってこの場所が分かったのかも気になるし、ここまで来るとごまかしようがない。できるだけ関わらせないように配慮は必要になるが、榎本が事情を知っていれば動きやすくなる。そこは良しとしなければ。胸を張ると、榎本は申し訳なさそうな顔をした。
「怪我、すみませんでした。あたしのせいです」
 改めて深々と頭を下げられた頭に、下平は苦笑して大きな手をぽんと乗せた。
「だから気にすんなって。明日には治ってるから」
「……は?」
 顔を上げ、そんなわけないでしょうと言外に否定した榎本を、下平はあえて無視した。運転席に頭を突っ込んで、後部座席の尊をシート越しに覗き込む。
「尊」
 俯いていた尊が顔を上げた。少し落ち着いたようだが、顔は晴れない。結局雅臣を逃がしたのだ、尊の不安な日々はまだ続く。それに、帰宅すればカツアゲのことを両親から問い質されるだろう。自分の安全ばかりを気にしている余裕はない。
「榎本にうちまで送らせる。いいか、渡したお守りを肌身離さず持ってろ。絶対に失くすなよ。それと、また何かあったらすぐに連絡しろ。一人で出歩くな。いいな」
 尊は、不安そうな顔で何度も頷いた。榎本を乗せ、頼んだぞと言い置いてドアを閉める。
「熊田さん」
 下平は、悶々とした顔で運転席のドアを開けた熊田の元へ駆け寄った。助手席に佐々木、後部座席に彩と美紀が乗り込み、落ち込んだ様子の桃子に声をかけている。
 手を止めて振り向いた熊田に、下平は小声で告げた。
「娘さん、尊を助けようとしたんですよ」
 一拍置いて、熊田はつぶらな瞳をまん丸にして見上げた。
「……え?」
「強くて優しい、いい娘さんじゃないですか」
 にっと笑うと、熊田は照れ臭そうに視線を泳がせて後頭部を掻いた。
「また明日、ご連絡します」
「あ、はい。ありがとうございました、娘を保護していただいて。怪我、本当に大丈夫ですか」
「ええ。この程度の怪我なら、なんともないですよ。すぐに治癒してもらえますし」
 そうですか、と呟いて安堵し、熊田は顔を引き締めた。
「気を付けて」
 神妙な声色で告げられ、下平は真剣な面持ちで頷いた。
 じゃあお先に、と熊田が乗り込んでエンジンがかけられる。二台の捜査車両が方向転換し、展望台をあとにした。
「僕たちも行きましょう」
 茂から声をかけられて、下平は身を翻した。
 てっきり華が運転するのだと思っていたが、茂が運転席、華は後部座席に乗り込んだ。茂がダッシュボードを開けて、消毒液とガーゼを華に手渡す。熊田たちが去った方とは逆の道へ進み、下平はルームミラーを見やる。廃ホテルには術の痕跡や凶器が残されたが、今回はなんの跡形もない。明日になれば、また誰かが絶景を眺めてSNSなどにアップするのだろう。何ごともなかったように。
 月の光に照らされて静かに佇む展望デッキが小さくなり、見えなくなった。
「下平さん、上着を脱いでもらえますか」
 片手に消毒液、片手にガーゼを持った華が、にっこり笑った。
「いや、このくらいなんともねぇよ」
「駄目ですよ。あとで治癒できるといっても、ちゃんと消毒はしないと」
 ずいっと迫られて、下平は年甲斐もなくドキッとした。樹たちはこんな美人と一つ屋根の下で暮らしてよく平気だな、と少々下品な勘ぐりをする。あれだけ強いと間違いなく反撃を受けるだろうが。下平はじゃあともぞもぞ動いて上着を脱いだ。
 ワイシャツの半袖は切り裂かれ、両方の二の腕に二か所ずつ、真っ直ぐな切り傷がある。出血は止まっているし、動いていたおかげか上着が張り付くことはなかったみたいだが、思っていたより傷は深かったようだ。前腕まで血が流れて擦れた跡があった。
 華は、消毒液を湿らせたガーゼで丁寧に血を拭き取っていく。
「……あの、下平さん」
 不意に華が口を開いた。
「近藤さんから、連絡は、まだ……?」
 不安げに尋ねられ、下平は一拍置いて頷いた。そうですか、と小さく呟いたその声は、あの勇ましい姿からは想像できないほど、弱々しかった。任意同行であることも、映像が合成であることも分かっているはずなのに。明はよほど慕われているらしい。
 先日の近藤の指摘が頭を掠った。寮の者たちは、集まったのではなく、集められたのではないか。当主らを責めるつもりはないし、そもそも確定ではない。ただ、もし本当に集められたのだとしたら、彼ら自身はそれに気付いているのだろうか。気付いていたとしたら、その時なにを思っただろう。気付いていないのだとしたら、戦うためにあえて集められたのだと知った時、どう思うだろう。
 と、シートを通じて上着に入れていた携帯の振動が伝わった。
「ちょっと悪い」
「はい」
 断ってから上着を探り、携帯を取り出す。噂をすればなんとやらだ。
「近藤です」
 相手を教えると、新しいガーゼに消毒液を染み込ませていた華が勢いよく顔を上げ、茂がルームミラー越しに一瞥した。そして下平が通話ボタンをタップした、とたん。
「ちょっとぉ、誰も出ないってどういうことなの僕も暇じゃないんだけど!」
 近藤の憤慨した声が車内に響き、華と茂がぎょっと目を丸くした。スピーカーにはしていないのに。この憤慨ぶりと言い方だと、四人全員に何度も電話をかけたのだろう。ちょうど会合と戦闘中に被ってしまったようだ。下平は肩身を狭くして茂と華に悪いと謝りながら、携帯を耳に当てた。
「悪かった、ちょっと立て込んでたんだよ。声抑えろ」
「はあ? 立て込んでたって……」
 近藤は一拍置いて、心底不機嫌な声でぼそりと言った。
「また僕だけ除け者?」
 グループメッセージのことを根に持っているらしい。下平は嘆息した。
「そうじゃねぇ、お前は自分の仕事があるだろ。明日あたりまた説明するから拗ねるな。それより、例の映像のことだろ、どうなった?」
 ここはさっさと話を進めるに限る。下平が促すと、近藤は諦めたように深々と息をついた。
「やっぱり合成だった。捜査本部に解析結果伝えてあるから。詳しいことはどうせ分かるだろうから省略。じゃあね、僕まだ仕事残ってるんだ。あっ、絶対ちゃんと説明してよ!」
 まくしたてるなりぶつっと通話が切られた。言い逃げされてしまった。説明は紺野に押し付けてやろうと企て、下平は華を見やる。
「やっぱり合成だったらしい。捜査本部の方には報告済みだから、すぐに解放される」
 華は脱力して言葉にならない安堵の声を漏らし、茂も大きく息を吐き出した。
 ただ、映像を送ってきた人物との関係を調べるために、改めて周辺を探るはずだ。(せい)や陽にも監視が付くかもしれない。いくら式神がいるとはいえ、常に監視の目を気にするのは精神的に疲れるし、動きにくくなる。何か対策があるのか。監視といえば、紺野にはまだ監視が付いているはずだが、どうやって振り切ったのだろう。そもそも、大丈夫なのか。
 下平は一人脳内会議をしながら、グループにメッセージを入れる。近藤にも届くが、これが一番手っ取り早い。華は宗一郎へだろうか、電話をかけていたが繋がらなかったようでメッセージを作成中だ。
 よしと下平と華が携帯から顔を上げると、おもむろに茂が沈黙を破った。
「華さん、下平さん」
 揃って運転席へ視線を向ける。
「さっき、言いそびれたことがあるんです。宗一郎さんたちには、先に柴が報告してると思うので」
「何でしょう」
 あらたまった声色に下平が尋ね、華が首を傾げた。
「渋谷健人のことなんですが、彼は――」
 カーブに差し掛かり、茂は速度を落として丁寧にハンドルを切る。
「僕の、元教え子なんです」
「――え?」
 下平と華の、間の抜けた声が重なった。
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