第4話

文字数 2,773文字

 お前らマジで沈めるぞ、と脅しをかける晴の隣で宗史が盛大な溜め息をついた。
「その辺にしておけ。話が逸れてるぞ」
 心の底から呆れた声に、大河たちは肩を竦めて腰を引いた。宗史は、まったくとぼやきノートに目を落とす。
「大河、さっき言ったように結界の中級の真言と、ついでに調伏と浄化も暗記しろ。午後の訓練で試す」
 指を差された真言に、大河は首を傾げた。
「調伏と浄化も中級でいいの?」
「いや、そっちは初級でいい。ただし一番レベルが高いやつだ」
「分かった。やる」
 先程までと打って変わってやる気満々の答えに、皆が苦笑した。
「よし、話は終わりだ」
 宗史が腰を上げると、皆も倣うように立ち上がった。と、玄関チャイムと配達業者の軽い呼び声が届いた。
「あ、日記かな」
 昼の便だと、時間によっては宗一郎に届けるのが夕方になってしまう。大河が踵を返した時、ちょうどシャワーから戻った昴が「僕が行くよ」と言って姿を消した。
「いいタイミングだったな」
「うん。あ、ねぇ、日記って柴と紫苑に渡しても大丈夫? 訳と一緒に宗一郎さんたちに回した方がいいかな?」
「いや、照らし合わせながら読むと時間がかかるから、とりあえず訳の方だけでいい。読み終わったらすぐに回してくれ」
「分かった」
 うちもお夕飯はそうしようかしら、と昼食もまだなのに夕飯の話をしつつ縁側に出てきた夏美たちの後ろから、荷物を抱えた昴が戻ってきた。
「やっぱり大河くんにだったよ」
 そう言って手渡されたのは小ぶりの箱だ。想像以上に重さがある。
「ありがとうございます」
 しゃがんでガムテープをはがす大河の上から、皆が興味津々に覗き込んだ。蓋を開け、みっちりと詰まった緩衝材、俗に言うプチプチに埋もれていたのは、紫色の風呂敷だった。大河は緩衝材を取り出して慎重に風呂敷を抱え、床に置いて結び目をほどいた。見覚えのある緑色の和綴じ本を上に、右上を紐止めした分厚い原稿用紙の束が姿を現すと、皆から歓声が上がった。
 大河は日記を両手で持ち上げると、藍を腕に抱えたまま覗き込んでいた柴を見上げて差し出した。
「はい」
 柴は日記を見据え、ゆっくり藍を下ろすと、両手で日記を受け取った。色褪せや破れ、染みが、したためられてからどれほど長い年月が経過しているかを物語っている。それは同時に、影綱が死してからの年月も表しているのだ。
 じっと、身じろぎ一つしない柴は、どんな気持ちで日記を眺めているのだろう。
 大河は宗史に視線を移した。
「風呂敷のままの方がいいよね。箱に入れる?」
「いや、風呂敷だけでいい」
 分かった、と言って風呂敷を包み直す。しっかり口を縛ってから、腰を上げながら持ち上げる。
「お願いします」
「ああ、確かに預かった。じゃあまた後でな」
「大河、ちゃんと暗記しろよ」
「分かってるよ。夏美さん、ありがとうございました」
「世話になった」
 大河に続いて頭を下げた柴と紫苑に、夏美はふふと笑った。
「私も楽しかったわ。また何かあったら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。気を付けて」
 ひらひらと手を振って庭を後にする三人を見送ると、さてと華と夏也がキッチンに戻った。茂、昴、弘貴、春平、美琴は柴の手の中にある日記に視線を向けた。興味津津だ。
「柴、それちょっと見せてもらってもいいか?」
「ああ」
 弘貴が催促すると、柴はその場に腰を下ろした。さっそく藍が膝の上を陣取り皆が腰を下ろすと、輪ができた。さすがの美琴も興味を引かれるようだ。
 大河は笑みを浮かべて緩衝材と箱を回収し、キッチンへ向かう。
「華さん、段ボール箱ってどうしたらいいですか?」
 軽快に包丁を鳴らしていた華が顔を上げた。
「古紙回収に出すから、送り状を剥がして潰してくれる? リネン庫にまとめてあるから、置いてもらえると助かるわ。プチプチは捨てても構わないけど……取っておこうかしら」
「柴と紫苑には珍しいかもしれませんね」
 味噌を手にした夏也が言った。
「ああ、そうねぇ、じゃあいっしょにリネン庫に置いておいてくれる?」
「分かりました」
 縁側から、全然読めねぇ、日本史の資料集そのままだすごい、と感嘆の声が響き、華と夏也が羨ましそうな視線を投げた。
「あたしも見たい!」
「私もです」
 うずうずした様子で声を張った華に、大河は笑いながら箱を潰す。影正同様、影綱もこんなにたくさんの人に晒されるとは思いもしなかっただろう。
「あ、そういえば、香苗(かなえ)ちゃんまだ宿題してるんですかね?」
「そうなのよ、珍しいわよね」
「擬人式神の練習をしてるんでしょうか」
「ああ、そうかもしれないわねぇ。大河くん、ご飯前に呼びに行ってもらえるかしら」
「はい」
 潰した箱と緩衝材を持ってリネン庫に入る。二台の掃除機と、作り付けられた棚には、ティッシュ類や洗剤類のストック、ミシン、圧縮された冬用の掛け布団や毛布が、またずらりと並んだ引き出し式の収納ケースには、洗い替え用のシーツや枕カバーなどがしまわれている。一番手前の収納ケースと壁の間に、潰された段ボール箱が数枚挟まれていて、大河は押し込むようにして突っ込んだ。緩衝材は、とりあえず空いている棚に畳んで置いた。
 古紙回収の日なんてあるんだ、と感心しながらリビングに戻ると、ちょうど右近(うこん)がふわりと庭に着地した。こちらもまた、小ぶりの風呂敷を抱えている。大河は縁側に足を向けた。
「宗史たちは帰ったのか」
 前置きもなく尋ねながら縁側に歩み寄る右近に、茂が答えた。
「ついさっきね」
「そうか」
 風呂敷を差し出そうとして、右近は柴と紫苑で目を止める。
「良いではないか」
 無表情だが率直に褒めた右近に、柴と紫苑はどうもと言うように会釈した。志季(しき)椿(つばき)に比べてまだ距離があるらしい。だが右近はさして気にも留めない様子で風呂敷を差し出した。
「届け物だ」
「あっ、独鈷杵?」
 弘貴が両手を伸ばして受け取り、さっそく包みをほどいた。大河は紫苑と美琴の背後から腰をかがめて覗き込む。不意に、右近がぐるりと視線を巡らせた。
「香苗はどうした?」
 誰にともなく尋ねられた質問に答えたのは、姿勢を戻した大河だ。
「まだ部屋にいるよ。宿題か擬人式神の練習してるのかも」
「そうか。ああ、お前も似合っている。では、確かに届けたぞ」
 ついでのように褒められ、ありがとう、と言う隙もなく、右近は踵を返してあっさり立ち去った。高く跳んで向かいの屋根へと消えていく背中を眺めながら、大河は首を傾げる。
 香苗だけいないから気にかけたのだろうが、それこそ宿題をしているとかトイレに行っているとか、理由はいくらでも考えられるのに、何故わざわざ聞いたのだろう。昨日、泣いていたから気になったのか。
「日記もそうだけど、なんか歴史を感じますね」
 春平の声に我に返り、大河は輪の中を覗き込んだ。と、今度は玄関チャイムが鳴った。
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