第15話

文字数 3,303文字

 同時刻、弘貴と春平は午後の街を哨戒していた。
 普段の哨戒は成人組が主に担当しているが、学校や通学路などの生活圏内は学生組の担当だ。だが長期休暇に入ると、全員での哨戒スケジュールが組まれることになっている。
 哨戒地域は日によって変わり、前日の担当者から引き継ぐか、哨戒記録を参考にその日に決める。基本的に免許所持者と組み、離れた地域まで足を延ばす。さらに離れた地域や山間、夜間は、明と宗一郎の式神が担当している。
 だが弘貴と春平はコンビが決まっており、しかもどちらも免許を持っていないためあまり遠くへ哨戒に出ることはない。電車を使えば済むことだが、徒歩だと駅から離れた場所まで回れないし、他の者がいるならそちらに任せた方が効率的だという判断だ。だからと言って毎度のように近所を哨戒しても意味がない。ゆえに、弘貴と春平が哨戒する時は、常に自転車だ。
 繁華街や人が多い場所は自転車を預けるか押すかして回るが、その他、住宅街など歩行者の邪魔にならない場所はゆっくりと自転車で回るのが弘貴と春平の哨戒スタンスだ。
 長期休暇以外の時期でも、京都は観光客が多い。特にこの時期は七月の一ヶ月間に渡って催される祇園祭と夏休みが相まって、山のように観光客が訪れる。比例するようにトラブルが増えるが、それは警察の管轄であり陰陽師の出る幕ではない。
「春、ちょっと休憩しようぜ。喉乾いた」
 そう言って弘貴はコンビニの前で自転車を停めた。少し遅れて春平もブレーキをかける。中学校が近くにあるため、運動場から部活動中であろう少年少女たちの活発な声が響いてくる。
 自転車を押して入口脇のスペースに自転車を停め、自動ドアをくぐった。開く隙間と比例して、冷えた空気が流れ出てくる。
「あー、天国極楽」
 コンビニの軽快な入店音と共に顔を緩ませておかしな台詞を吐いた弘貴に、春平は苦笑を漏らした。
「何それ」
「たまにしげさんが風呂入ってる時に言うんだよ。天国極楽だねぇって」
「ああ、言いそうだね」
 のほほんとした茂の顔が浮かんで、春平は小さく笑い声を上げた。
 だろ、と弘貴はペットボトルが並ぶ冷蔵庫へと足を向ける。この時期、飲み物は必需品だ。出る前に華が用意してくれた水筒を二本持参してはいるが、すぐになくなる。仕方ないので、最低でも一度はコンビニでペットボトルを購入する。毎度のこととなると財布には優しくないが、熱中症で倒れるよりはマシだ。
 弘貴と春平は、冷蔵庫の前で輪になっているジャージ姿の男子中学生集団の後ろで、足を止めた。ちょうどお茶や水が並ぶ棚の扉を塞がれていて手が出せないが、何を買うか決めてないので構わない。
「何する?」
「んー、炭酸って言いたいとこだけど、意外と喉乾くんだよなあれ」
「糖分が多いからね」
「しょうがねぇ、麦茶にしとくか。お前は?」
「僕は緑茶」
 そうこう言っている間に中学生の一人がこちらに気付き、仲間たちの背中を押した。ちらりと見やり会釈をして、扉の前から移動する。
「すみません」
「いや、いいよ。ありがとな」
 弘貴がにっと笑うと、少年ははにかんでもう一度会釈をした。輪になって何やら盛り上がる仲間たちを押しやりながら、お前らもう行くぞ、と急かす。携帯から微かに聞こえたのは、人気アイドルグループの曲だ。どうやら動画を見ていたらしい。
 何も買わずに店外へ出る彼らを見やりながら扉を開ける。
「ああ言うのって、店側からしたらほんとは駄目なんだろうけど、他の客に大して迷惑かけねぇから何とも言えねぇんだよな」
「ちゃんと避けて謝ってくれるしね」
「そうそう」
 むしろ、酔っ払いの大人やマナーの悪い観光客の方がよほど質が悪かったりもする。
 手提げ袋を断り、店のロゴ入りのテープが貼られたペットボトルを下げて自動ドアをくぐる。むっとした空気に思わず眉を寄せた。
「天国から地獄だな」
 弘貴の溜め息交じりの軽口に笑いながら、自転車の側ですぐに蓋を捻った。ちょうど目の前に植わっている木が影を作っていて、涼しいとは言えないが直射日光を浴びるよりはマシだった。二人揃って喉を鳴らしながらペットボトルを煽る。
「あー、生き返った」
「夏ってほんと苦手……」
「お前、昔っから暑いの駄目だよな」
「夏の間だけ部屋に籠りたい」
「引きこもり予備軍かよ」
「それにしても、年々気温上がってるよね。それでなくても京都って暑いのに」
「盆地だからな。冬はめっちゃ寒いし」
「寒い方が好き。雪景色も綺麗だし」
「そりゃそうだけど、俺はやっぱ夏の方が開放的でいいな」
「暑い暑いってぼやいてるのに?」
「口に出さねぇと余計暑くなりそうだろ」
「どういう理屈だよ、それ」
 呆れた口調で突っ込むと、弘貴は短く笑ってペットボトルを再度煽った。倣うように一口だけ口を付け、春平は俯いて蓋を閉じた。
「あのさ、弘貴。昨日の、樹さんの話だけど……」
「……ああ……」
 樹の名を出したとたん、弘貴の眉根が寄った。
『二人とも、体術のレベルは中の下。そう報告しとくけど、これからどうするか自分たちでもよく考えといて』
 昨夜の夕飯のあと、樹に呼び出されてそう評価された。
「正直、どう思う?」
「どうって……まあ、樹さんの基準で評価されてもなぁとは思うよ。あの人の基準、やたら高いだろ」
 弘貴はペットボトルの蓋を閉じ、ボディバッグに突っ込んだ。
「うん……でも、今の状況でそんなこと言ってられないとも思うよね」
「分かってるよ。実際……犠牲者も出てるしな」
「うん……」
 公園での出来事が脳裏に蘇る。
 初めて見た鬼は、人の形をしていた。教科書に載っている昔の絵巻物や絵本の鬼とは違い、漫画に出てくる鬼の方が近い。近いというより、まさにそのものだった。深紅の瞳と角がなければ人間と変わらない容姿。けれど身体能力が比べ物にならなかった。もし柴と紫苑に助けられなければ確実に死んでいた。大河の足元に横たわる影正の遺体は、今でも生々しいほど思い出せる。宗史と晴は、いくら式神が召喚できるとはいえ、あんな奴らと一戦交えたのにも関わらず生きて帰ってきた。会合の時に大河が草薙に食ってかかった気持ちも、今なら痛いほど理解できる。
 あんな光景を目の当たりにして、宗史と晴のレベルの高さを再認識すれば、自分たちがどれだけ未熟なのかは言われなくても分かる。
 悪鬼は闇に紛れて活動することが多く、だからこそ樹や怜司などの術や体術に長けた者や式神が夜中の哨戒に当たる。実際のところ、昼間でも何度か悪鬼に遭遇したことはあったが、体術で応戦したことは今まで一度もなかった。あるとしたら、街中でガラの悪い連中に絡まれて撃退した時くらいだが、そんなことも稀だ。だからと言って体術訓練をおろそかにしたことはないし、その辺のチンピラ風情に負ける気もしない。
 だが、これから先はそうはいかない。生身の体を持った鬼を相手にするのだ。あの身体能力を相手に術のみで応戦するのは無理がある。けれど体術のレベルを上げれば勝てるとも思えない。それでも今のままでいるよりはよほどマシだ。
 それを踏まえた上で、二度と犠牲者を出さないために樹も厳しく言ってくれているのだろうとも思う。理解もできるし、分かるけれど――。
「まあ単純な話し」
 弘貴がいつものにっと白い歯を見せて春平を見下ろした。
「レベル上げろってことだろ?」
「そうだけど……」
 そんな簡単に上がればあんなことは言われていない。苦い表情を浮かべる春平の背中を、弘貴は少し強めに叩いた。
「戻ったら本格的に指導ついてもらえるように相談してみようぜ。うだうだ悩んでる暇があるなら動いた方がいいだろ」
 なっ、と言って浮かべる満面の笑みに、春平は苦笑いを浮かべた。
 何も怖いものなどないと思わせるような弘貴の笑顔。いつもいつも、子供の頃からそうだ。悩むより動けが信条の弘貴に、どれだけ助けられてきただろう。
 春平は、ちょっと手加減しろよ、と苦言を呈しながら自転車の鍵を外した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み