第9話

文字数 5,041文字

 葬儀の日は、雨だった。
 深夜からしとしとと降り続けた雨は湿度をはね上げ、夏の制服と言えど不快極まりない。設備の古い集会所のエアコンは効果が弱く、何もしていないのに汗がじわりと滲む程度に蒸し暑い。
 僧侶による読経、弔辞、弔電の奉読と、式は粛々と進み、焼香へと移る。
 焼香台へと進む列の中に、省吾たちの姿があった。風子は涙を堪えているのかきつく唇を噛んでいた。ヒナキは人目も憚らずすすり泣き、省吾は一見いつも通りの冷静な顔をしていたが、背中が悲しみを訴えていた。その後ろには、風子の母親が父親と共に車いすの祖母を連れていた。ヒナキの両親や祖母、伊藤のおじさん、雪子の方の祖父母や兄弟もいて、ほとんどが顔見知りばかりだ。
 一般参列者の最後尾に、宗史と晴の姿を見つけた。若者が少ない上に顔見知りが多い参列者の中で、二人は目立つ。誰かしら、と言いたげな視線を受けながら焼香を済ませる二人に、大河はわずかに頭を下げた。
 一瞬躊躇し、大河は影唯に断りを入れて出て行く二人を追った。
「宗史さん、晴さん」
 背後から声をかけると、二人は少し驚いたように振り向いた。傘をさしていない大河に宗史が傘を差し出す。
 何から話していいのか分からないが、出棺準備まであまり時間がない。大河は何の前置きもせず、スラックスのポケットから自宅の鍵を引っ張り出して差し出した。
「話があるんだ。精進落とし、初めだけいればいいって言われてるから、うちにいてよ。これ鍵。暑いから適当にエアコンとか使って」
「え?」
 集会所の中から雪子に呼ばれ、大河は戸惑う宗史に無理矢理鍵を握らせた。
「じゃあまた後で」
「えっ、ちょっと大河っ」
 動揺した宗史の声を背中で聞きながら、大河は集会所へと戻った。

              *・・・*・・・*

 大河が自宅へ戻ったのは三時を少し回った頃だった。
 朝食はしっかり食べたが、さすがに腹ペコだ。雪子に持たされた精進落としの料理を抱え、大河は玄関の扉に手をかけた。が、ガチャンと金属音がしただけで扉は開かない。もしやいないのだろうか、とインターホンに手を伸ばした時、擦りガラスの向こうに人影が映った。
 鍵が開けられ、扉が開く。宗史が顔を出した。
「あ、よかった。いた。鍵閉まってるからいないのかと思った」
 こんな田舎では、就寝時以外、家に人がいる時にあまり鍵はかけない。知り合いなら声をかけながら入ってくるし、古い引き戸は開けた時に大きな音を立てるからすぐに気付く。
 へらっと笑うと怪訝な顔をされた。
「留守を預かってるのに、鍵を開けっぱなしにしておくわけにはいかないだろう」
 その言い回しが妙に懐かしくて、大河はそっかと満面の笑みを浮かべた。真面目な宗史らしい返事だった。
「二人とも、何も食べてないよね。これもらってきたから、一緒に食べよう」
 紫色の風呂敷包みを宗史に渡し、雨でぬれた革靴と靴下を脱ぐ。すると、居間から晴が顔を出した。
「おかえり、大河」
「ただいまー。晴さん、風呂場からタオル持ってきて欲しいな。濡れちゃって」
「了解」
 勝手知ったる刀倉家だ。晴は脱衣所からタオルを手に戻ってくると、大河に渡しながら言った。
「お前、ほんとにいいのか? 抜けてきて」
「うん。なんか、島民の体質なのかな。皆洒落になんないくらいザルでさ。祭の時とか何かあった時はいつも飲み明かすんだ。ちょっと(たち)が悪い絡み方する人もいるから、未成年はいつも早く帰すことになってて。だから大丈夫」
「なるほどな。ってことは、お前も酒強い方?」
「え、そんなの飲んだことないから分かんないよ」
 足を拭き終え濡れた靴下をタオルに包んで立ち上がった大河に、晴は驚いた顔をした。
「なにお前。飲んだことねぇの?」
 この口ぶりは未成年の時から飲んでいるクチだ。
「ないよ。未成年だよ、俺」
「いやいやいや。今時高校生で飲んだことねぇって」
「大河が普通なんだよ。お前と一緒にするな」
「そう言う宗はどうなんだよ? おじさん、面白がって飲ませそうじゃん」
「そういうところは厳しい人だからな。二十歳の誕生日に初めて飲んだ」
「うわマジか! どこの優等生だよ」
「だから俺たちが普通なんだって言ってるだろ」
「えー……」
 晴が不満そうな声を漏らすと、宗史がはたと気付いた。
「で、俺たちは何で玄関で立ち話をしてるんだ?」
 三人揃ってきょとんと目をしばたき、同時に噴き出した。
「俺、先に着替えてくるね」
「ああ。っと、冷蔵庫開けてもいいか?」
「いいよー」
 階段を駆け上がりながら返す。宗それ何、精進落としの料理だそうだ、助かる腹減ってたんだよ、お茶入れてくるから頼む、おお、と二人の会話が背中から聞こえて、大河は頬を緩ませた。
 部屋に入り、ベッドの上に脱ぎ散らかした部屋着のジャージに手早く着替える。
 正直、不安と緊張があった。
 寮にいた時の自分の態度。あれは最悪だった。あの状況だから仕方ない、と二人なら言いそうだが、それでも帰り際にお礼も言わなかったことを思い出した時は後悔した。ありがとうも、ごめんなさいも言えなかった。影正の遺体の傍でうずくまっている自分を心配して、ずっと側にいてくれたことに気付いていたのに。
 だから葬儀の時、本当は怖かった。声をかけて嫌な顔をされるかもしれないと思うと、全身が心臓になったように鼓動が踊り、緊張した。それでも、どうしても直接伝えたいことがあった。だからあの時、宗史が傘をさしてくれて安心した。少なくとも、嫌われてはいないと分かって。
 そして今。家にいてくれて、笑って話ができたことが嬉しい。
 大河は濡れたタオルと制服を持って階下へ下りた。
「安心したんじゃねぇの? 宗」
 襖越しにからかうような晴の声が漏れ聞こえ、大河は階段の一番下で足を止めた。
「何が」
「大河が浮上しててさ。心配だったんだろ」
「あの状態で心配しないわけないだろ。お前こそ、人のこと言えるのか?」
「そりゃあ、まあ……」
 少し間が空いて、晴が言った。
「普通って言っていいのか分かんねぇけど、ま、良かったよな」
「ああ、そうだな」
 雨音が響く中、大河は熱くなる顔を抱えた制服にうずめた。
 やべ、なんか照れる。
 あの日からずっと心配してくれていたのだと思うと、妙に照れ臭い。
 タオルと制服を洗濯かごに放り込んで襖を開けると、テーブルの上には様々な料理で彩られた使い捨ての容器と、寿司が入った容器が三つずつ並んでいた。割り箸がついているあたりさすがだ。三人は席につくと揃って手を合わせ、いただきますと告げてそれぞれ箸をつけた。
「お、やっぱ海が近いだけあるなー。刺身美味いわ」
「煮物も味が染みていて美味い」
「良かった。でも、集会所で食べてたら山口県産ブランド牛のすき焼きがついてたんだ」
 何の気なしに披露した情報に、ぶっと晴が噴き出した。うわ(きたな)っ、と叫んで反射的に避ける。晴がティッシュでテーブルを拭きながら恨めしげな視線を向けた。
「おま……っそんな情報いらんわ! 未練が残るだろうがっ!」
「……山口県産ブランド牛……」
 天ぷらをつまんだまま愕然と呟く宗史を、晴が同情の眼差しを送った。
「見ろ。宗のこの切ない顔を」
「なんか、ごめん……」
 まさかこんなに反応が返ってくるとは思わなかった。はっと我に返った宗史が誤魔化すように咳払いをした。
「ブランド牛は県外に出回らないものもあるから、食べ損ねたのは残念だと思っただけだ」
「ああ、そっか。全国的に有名なのってフグくらいだもんね」
「他になんかねぇの? 地酒とか」
「あると思うけど、ネットで調べた方が色々出てくるんじゃないの?」
「いや、ネットは情報が溢れ返ってて迷子になる。地元民からこれってのをいくつか教えてもらった方が絞りやすい」
「確かにそうかも。んー、酒かぁ……あ、そう言えば前に、じいちゃんが老人会で酒蔵見学行ってほろ酔いで帰ってきたことがあったっけ。銘酒だとか言ってたような」
「おっ、それ銘柄分かんねぇ?」
「買ってきたのまだ残ってるんじゃないかな。後で探してみる」
「頼むわ」
「大河、同じ年頃の女の子が喜ぶお土産ってないか?」
「あ、妹さん? 桜ちゃんだっけ」
「聞いたのか」
「うん。春から聞いた。お土産で定番だと、山焼きだんごとか利休まんじゅうあたりだけど、女の子かぁ……あ! 月でひろった卵と宇部(うべ)ダイヤは女の子好きなんじゃないかな。月たまはふわふわのスポンジにカスタードと栗が入ってて、宇部ダイヤはチョコレート。美味いよ」
「へぇ、美味そうだな。……月たま?」
「月でひろった卵の略」
「ああ、なるほど。他は?」
「んー、俺のおすすめはかまぼこかな。歯ごたえあって美味い。じいちゃんがよくつまみにしてた。後は萩の夏みかんとか」
「夏みかん? 萩と言えば、焼物の街だとばかり思ってたけど」
「ああ、萩焼? それも有名だけど、夏みかんソフトクリームがめっちゃ美味い。あれ絶品。さすがにお土産にはできないけど、お菓子も色々あるよ」
「焼物は律子ばあさん好きそうだな。土産に買って帰れば? 新山口にねぇの?」
「あると思うよ」
「うーん、買うなら現地に行って色々見て回りたいな」
「そういうとここだわるよな、お前」
「焼物は基本一点物だろ。模様が一つ一つ違うんだ。吟味して納得した物を渡したいから、今回はパスだな」
「理屈っぽいよなー」
「お前は直感で動きすぎだ」
「そう言えば、俺無理矢理うちに来させちゃったけど、時間大丈夫? 今日泊まり? 日帰り?」
「あー……実は、どうするか迷ってたんだ。準備だけはして来てるんだけど、ホテルはまだ……」
 珍しく宗史が言い淀んだ。何故迷っていたのか分からないが、大河はしば漬けを飲み込んで言った。
「なんだ、それならうちに泊まれば? 今の時期ホテル取れるか分かんないし」
「いいのか? いきなりご迷惑じゃ……」
「大丈夫だよ。後で連絡入れとく。あ、でも二人とも帰って来ないかもしれないから、あんまりおもてなしはできないよ」
「そんなの気にしなくても……じゃあ、お世話になろうか」
「異議なーし。よろしくな大河」
「うん」
 三人が三人ともよほど腹が空いていたのか、会話をしつつも箸は止まらず、あっという間に平らげた。
「ごちそうさまでした」
 三人揃って合掌し、すぐさま晴が一服をしに縁側のガラス戸を開けた。エアコンが効いた室内へ、湿度の高い空気が流れ込む。
「お、雨止んでるぞ」
 晴の一声で、大河と宗史がどれどれと集まる。
「ほんとだ。あ、見て見て。虹、ほらあそこ」
「ああ、虹なんて久しぶりに見るな」
 しゃがみ込んだまま空を指す大河と、まとめた空容器を抱えた宗史、美味そうに煙草を吹かす晴が、言葉もなく空を見上げる。
 曇天の隙間から細い日の光がいくつも差し、ついさっきまで日暮れかと思うほど薄暗かった辺りは明るくなりはじめていた。
 大河は深く息を吸い込み、目を閉じた。
 ああ、落ち着くなぁ。
 雨上がり、浄化された空気、嗅ぎ慣れた土と緑の香り、徐々に泣き始める蝉の声。そして、二人の気配。
 まるで、ずっと昔から一緒にいるみたいだ。
 大河はゆっくりと瞼を上げた。
「宗史さん、晴さん」
 おもむろに大河が呼びかけ、二人が同時に振り向いた。
「話があるんだ」
 腰を上げた大河に、二人は無言で頷いた。
 とりあえず空容器を軽くすすぎ、台所に重ねて放置した。家事には一切手をつけない大河が処理の仕方を知らなかったからだ。
 お茶を足し、改めて席につく。
「話って?」
 晴が口火を切った。うん、と大河は頷き、テーブルの上に一通の白い封筒を置いた。表に達筆な文字で「大河へ」と書かれている。
「じいちゃんから。京都に行く前、父さんたちに預けてたらしくて。読んでみて」
 大河に促され、宗史が丁寧に封筒を持ち上げた。
「拝見します」
 大河へか、それとも影正へか、それとも両方へかは分からなかったが、大河は小さく頷いた。
 封筒の中には三つ折りにされた便箋が数枚入っていた。丁寧に開き、宗史が綴られた文字を声に乗せる。
「何から話せばいいのか、正直迷っている――」
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