第6話

文字数 4,918文字

 背中をさすりながら腰を上げた大河に霊符を渡してやる。と、樹と怜司が顔を出した。支度は済んでいるが、樹の方はまだ寝ぼけ顔だ。
「おはよー」
「おはよう」
 おはようございます、とそれぞれ挨拶を交わしたところで、華たちも戻ってきた。すぐにキッチンに入り食事の支度を始める。藍と蓮は縁側へ小走りに駆け寄り、宗史と晴の膝の上に陣取った。汗まみれの大河たちは避けたようだ。
「何? 霊符の発動の確認?」
 樹と怜司も縁側に集まり、後ろに胡坐を組んで座り込む。
「ええ。大河、いいぞ」
「はーい」
 縁側から距離を取り、どこか余裕を感じさせる返事をした大河は、すぐに表情を引き締めた。左手の人差し指と中指を揃えて立て、唇に添える。意識を集中させるように一拍置いてから大きく息を吸い込み、軽く霊符を空に放った。
「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ――」
 少々ゆっくり唱えた真言に、ひらひらと舞っていた霊符が弾かれたようにぴんと伸びて宙に浮いた。
帰命(きみょう)(たてまつ)る、愛執済度(あいしゅうさいど)道途光明(どうとこうみょう)
 仄かに光を放った霊符を見て、大河が左手を解き唱えるのをやめた。とたん、霊符は脱力したように張りをなくして地面に舞い落ちた。
「上出来だ。次、調伏」
「はい」
 大河は霊符を回収し、駆け足で戻ってきた。宗史が霊符を受け取り、藍が調伏の霊符を両手で差し出した。
「ありがとう、藍」
 藍の頭をひと撫でし、再び同じ位置に戻る。
 同じ所作をし、やはり一拍置いて真言を唱える。まだ慣れないうちは仕方ないが、その一拍が命取りになる場合もある。癖にならないうちにやめさせた方がいいか。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・カン。帰命(きみょう)(たてまつ)る、邪気砕破(じゃきさいは)邪魂擺脱(じゃこんはいだつ)
 霊符が同じように反応を示し、大河も唱えるのをやめた。
「問題ないな。最後、結界」
「うん。あっ」
 不意に吹いた風に煽られ、明後日の方向に飛ばされた霊符を大河が慌てて追いかけた。
「分かってたけど、こうもあっさりやられるとほんっと立場ねぇよなぁ」
 霊符に駆け寄って回収した大河を眺めながら、晴が参ったと言いたげに苦笑いを浮かべた。普通なら、霊符はもちろん、基本の九字結界を張るにも最低でも一カ月はかかる。それをほんの数日でこなされると、確かにそう言いたくもなる。
「素直だからじゃない?」
 当然のように言った樹を全員が振り向いた。
「大河くんは自分の霊力を素直に受け入れてるんだよ。あと楽しんでる。だからコントロールしやすいし、成長も早い。もちろん資質や霊力量も関係してるんだろうけどね」
 ああ、なるほど、と口々に納得の声を漏らす。
 樹の見解を聞いて、昔のことを思い出した。
 幼い頃、訓練を始めてから比較的早く術を行使できるようになった。単に家系や霊力の影響だと思っていたが、今思えば樹の言う通り、自分に霊力があることを当たり前だと思っていたかもしれない。陰陽師の家に生まれたのだから不思議なことではないと。それに、新しい術を覚えて宗一郎たちに褒められるのも嬉しかった。
 今、自分はどうなのだろう。そして、晴はどう思っているのだろう。
「大河くんらしいですね」
 香苗がぽつりと呟いた。
 霊力を素直に受け入れることができるのは、大河の性格なのか、それとも目的があるからなのか。あるいは両方なのか。どちらにしろ、大河にとって強みになることは確かだ。そして、受け入れることが成長につながるのなら、香苗にはまだ伸び代が多く残っている可能性がある。香苗だけではない、他の者たちも、まだ。
「やっぱ綺麗だなぁ。いいなぁ、羨ましい。俺も早く描けるようにならないと」
 話題にされているとも知らず、暢気に霊符を眺めながら歩み寄る大河に、皆が笑みをこぼした。
「そればかりは練習あるのみだな。で、結界は何を対象にしたんだ?」
「花壇の石。解く時に樹さんが叩き割ったけど」
 大河は霊符を交換しながら、花壇の脇に放置されている無残にも真っ二つに割られた石に顔を向けた。
 庭の手入れは茂の仕事だ。庭木の剪定や掃除、季節によって庭を彩る花々の世話をはじめ、訓練時や双子が遊ぶ際に怪我をしないようにと、できる限りの小石は取り除いてある。ただし、景観を保つための岩や茂お手製の花壇の石は別だ。
 樹はその一つ、花壇に使われているサッカーボールほどの自然石を掘り出し結界の対象物にした挙げ句、解く際に霊刀で叩き割ったのである。ただの石とは言え、そこそこ大きさがある石を叩き割る樹の技術と霊刀の強度も称賛ものだが、日々せっせと世話に勤しむ茂が不憫だ。
「お前またかよ。寸止めしろっつってんだろ、しげさん泣くぞ」
「失敗した」
「嘘つけ、わざとだろ」
「しげさん、膝から崩れ落ちててさ、なんか悲壮感満載で可哀相だった……」
「だろうな。これで何度目だ?」
「七度目だな」
 怜司の即答に全員から呆れた溜め息が漏れ、樹が唇を尖らせた。
「だって、対象にできる物ってあれくらいしかないんだもん」
「ないんだもん、じゃねぇよ。どうすんだ、あれ」
「何で。石でしょ? また埋め直せば使えるじゃない」
「その作業は誰がやるんだよ」
「しげさん」
「お前なぁ……」
 当然のように答えた樹に、晴が肩を落とした。晴も大概人任せにする方だが、樹ほどではない。
 宗史は息をつき、藍を抱えて下ろすと腰を上げた。
「まあ、ちょうどいいし、あれを使うか」
「ほら、役に立ったじゃない」
「自慢になるか!」
 ドヤ顔をした樹に晴が突っ込んだところで、藍と蓮が庭に下りて話題の石へと駆け出した。あれ、運んでくれるの? と双子の後を追いかける大河を見て、宗史は笑みを浮かべて座り直す。大河も子供の世話は慣れている。任せて大丈夫だろう。
「樹、怜司くん、お待たせ。ご飯の用意できたわよ」
「はーい」
「はい」
 華の声に樹がすぐに立ち上がり、怜司がよっこらせと腰を上げた。怜司くん最近ジジ臭いよ、やかましい、と軽口を叩き合いながらリビングへ入る二人を見送る。昨日よりは普段と変わりないように見えるが。宗史は昴と香苗を見やった。
「どうだ?」
 小声で問う。昴が、そうですねと顎に手を添えて逡巡した。
「今朝よりは、いつも通りかと思います。落ち着いてる感じ」
「あたしもそう思います。雰囲気も柔らかくなってると思います」
「そうか」
 人見知りのある昴と人の顔色を疑うタイプの香苗は、人のことをよく見ている。この二人がそう言うのなら、もう少し様子を見てからでもいいかもしれない。
 二つに割られた石の一つを抱える藍と蓮の後ろを、大河が「もう少しだ、頑張れ」と励ましながらついて歩く。
「樹か?」
 三人の様子を眺めながら、晴が小声で問うた。
「ああ。今朝も少しな」
「やっぱ珍しいな。いつもなら分かりやすく態度に出すだろ」
「そうだな……」
 いつもと違う態度は、もちろん今の状況ならば全員気になるが、樹だから余計だ。彼は優秀すぎる。しかし、樹がシロであれクロであれ、もし事件と関係していたとしてもまだ皆に知られたくないのであれば、こちらに気付かれるような隠し方をするだろうか。いくら自分の感情に素直だとは言え、彼なら徹底して隠しそうだが。それとも個人的な問題だろうか。
「藍、蓮、その辺でいいよ。気を付けて、ゆっくり――よし。助かったよ、手伝ってくれてありがとな」
 大河に頭を撫でられ、藍と蓮は顔をくしゃくしゃにして笑った。すぐに縁側に駆け戻り、宗史と晴の膝によじ登る。嬉しそうに足をぶらつかせるあたり、すっかり機嫌が直ったようだ。
「じゃあ、始めて」
「はい」
 石から三メートルほど距離を取り、唇に揃えた左手の指を添えて一拍置くと、右手で霊符を放った。
「オン・ロケイジンバラ・ラジャ・キリク――」
 霊符がアイロンをかけられたように伸びて、宙に浮く。
「帰命し奉る、門戸壅塞(もんこようそく)怨敵撃攘(おんてきげきじょう)――」
 仄かに光を放ち、大河の意思を察したかのように素早く石へと飛んで張り付いた。
万物守護(ばんぶつしゅご)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)
 言い終わるや否や、キン、と甲高い音が響いた。瞬時に現れた黄金色の光を放つ薄い膜は、石から半径三十センチほどの距離を開け、ドーム状に全体を覆っている。地面には石を中心に、同じく黄金色の五芒星が描かれている。
 目を輝かせて前のめりになった藍と蓮を、宗史と晴が慌てて支えた。
「上出来だ、大河」
 宗史が褒めると、大河は自慢気な笑みを浮かべてピースサインを突き出した。
「霊符描くのは時間かかりそうだけど、使うのは得意そうだな」
「みたいだな。この調子なら、攻撃系も一緒に覚えさせてもいいかもしれない」
「そうだな。ま、あいつの許容量にもよるけど?」
「やめろ、言うな」
 渋い表情を浮かべた宗史に、晴が茶化したように笑った。
 暗記が苦手だとぼやく大河に、次から次に覚えさせるのは正直不安だ。覚えた先から忘れられては困る。
 三つの真言を繰り返し覚えてから新たな真言を覚えるのが理想だが、悠長にしている時間はない。となれば、茂に任せるか。
「しげさんが戻ってから相談してみよう。藍、ちょっといいか。危ないから庭に下りるなよ」
「蓮、お前もな。昴、香苗、頼んだぞ」
「はい」
 宗史と晴は、藍と蓮を縁側に残して庭に出た。仄かに光る結界を見やりながら近寄る。
「綺麗な結界だ」
「初めてとは思えねぇ出来だな。やるじゃねぇか、大河」
「ありがと」
 へへ、と大河は照れ笑いを浮かべた。宗史は携帯を入れているポケットとは逆の尻ポケットから独鈷杵を取り出し、霊刀を具現化した。
「叩き割るの?」
「まさか。そんなことをしたら今度こそしげさんが泣く」
「つーか大激怒だろ」
 離れて、と腕を伸ばして二人を下がらせる。
 宗史は両手で霊刀を握って正眼に構え振り上げると、息を止めて躊躇なく振り下ろした。周囲に薄いガラスが割れたような、甲高い音が響いた。結界が真っ二つに割れ、粉々に砕け散ってふっと空に溶けるように消えた。同時に、石に張り付いていた霊符がひらりと剥がれ落ちた。
「うわ、すげ……」
 目を丸くして驚いた大河が見つめているのは、石との隙間を紙一重残した宗史の霊刀だ。
「いい音だったなぁ」
「ああ、完璧だ」
 宗史は具現化を解き、霊符を拾い上げた。
「俺は宗史さんの方に感動した。あんなぎりぎりで止められるんだ。樹さんは容赦なかったのに」
「樹さんは故意だろ。それより、出来は問題ないが一つだけ注意点がある」
「あ、はい」
 大河は背筋を伸ばした。
「真言を唱える時、左手を構えて一拍置くだろう。あれ、今のうちに直した方がいい。樹さんに言われなかったか?」
「言われた……その一拍が命取りになるって」
「その通りだ。心配なのは分かるが、癖になると直すのに時間がかかる。霊符が反応するのは確かだから、思い切ってやってみろ」
「うん、分かった。やってみる」
「お前なら大丈夫だって。集中力だけはすげぇから」
「だけってなんだよ!」
 また始まった。どうしてこう晴は大河をからかいたがるのか。宗史は溜め息をついた。
「晴、お前はやたらと大河をからかう癖を直せ」
「人聞き悪ぃな。分かんねぇかなぁ、この愛情表現」
「ひねくれた愛情表現は誤解を生むぞ」
「同感!」
 晴は不遜な笑みを浮かべ、鼻で笑った。
「お前らお子様だねぇ」
「誰がお子様だ!!」
 大河と宗史の怒声が重なり、晴が高らかに笑い声を上げながら縁側へ向かう。
「もー、晴さんひねくれ過ぎ」
 大河が膨れ面でぼやきながら石を持ち上げ、元の場所に運んだ。
 宗史も縁側に戻りながら携帯を取り出し、大河の霊符の写真と一緒に宗一郎へ報告を送った。この様子なら、今夜の仕事に同行することになる。
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