第16話

文字数 2,970文字

 水塊と火玉が激突して、白い煙が一帯を飲み込んだ。朱雀が火玉を顕現させる。もし飛べたとしたら、上昇した隙を狙って攻撃しろと朱雀には指示を出していた。火玉が一抱えほどまで一気に質量を増した、その直後。
「朱雀、待てッ!」
 白い煙の中から弘貴が叫んだ。何だ、と思う暇もなかった。突如、宙に浮かんでいた雅臣の体がガクンと横に傾いた。
「何……っ」
 雅臣が驚きの声を漏らした次の瞬間、何かに引っ張られるように弘貴がいた方へ下降し、煙の向こうへ消えた。春平はとっさに駆け出した。何をしたんだ。
 徐々に消えてゆく煙を抜けた先で目にしたのは、信じられない光景だった。弘貴が一本の触手を鷲掴みにし、一本背負いの要領で雅臣ごとぶん投げていた。まるで蛇を捕獲する時のように、先端をしっかり握り締めている。触手を伸ばせば投げられることはなかったのだろうが、煙が目隠しになって悪鬼本体が対応できなかったのか。
「がは……ッ!」
 ドンッ! と鈍い音を響かせて、雅臣が地面に叩きつけられ、苦悶の声を上げた。衝撃で玉砂利が浮き、わずかに体が跳ね返る。とたん、霊刀が消え、悪鬼が縮んだ。
「朱雀、今だ!」
 逃れようと激しく暴れていた触手が急に動きを弱め、弘貴が放り投げて後退しながら叫んだ。間髪置かずに朱雀が火玉を放つ。斜め下。地面に転がっていた雅臣が、顔を歪めつつ素早く体を起こしながら霊刀を具現化し、火玉を仰ぎ見た。ほぼ同時に、再び悪鬼が質量を増し、全ての触手が火玉へ向かって空を切った。
 触手三十本が火玉を貫き、しかし多少速度が落ちた程度で動きは止まらない。雅臣が片膝を立て、中腰の体勢で霊刀を横に振り抜いた。触手もろとも切り裂かれ、火玉が破裂する。重力の法則に従って、白い煙が雅臣を覆い隠した。
 その隙を、二人は見逃さなかった。霊符を取り出して構える。
「オン・シュチリ・キャラ・ロハ・ウン・ケン・ソワカ! 帰命(きみょう)(たてまつ)る。邪気剿滅(じゃきそうめつ)碍気鏖殺(がいきおうさつ)――」
 だが、最後まで真言を唱えることはできなかった。煙の中から雅臣が飛び出してきて、即座に触手が二人と一体を襲う。避けながら、弘貴が舌打ちをかました。
「意外としぶといな」
 だがダメージは負っているはずだ。もう一度朱雀に攻撃させて――と思っていると、唐突に雅臣が身を翻した。
「あっ、てめぇこの野郎!」
 まさかの逃亡に、弘貴が悪態をついた。触手が一斉に離れ、二人と一体はとっさに追いかける。逃げた先には、参集殿と鎮守の森がある。闇と木々で姿を隠すつもりなのだろうが、幸いにもあちらは夏也が放った擬人式神が待機している。
「春、俺と朱雀が引き付ける。お前は調伏頼む」
「了解」
 朱雀が長い尾を揺らした。
 御垣を回り込む形で小道が二本延び、その先にベンチが設置された芝生と小ぢんまりした広場、右手に参集殿。その奥が鎮守の森だ。不意をつくつもりで待機させていたのが功を奏した。案の定、木の陰から飛び出してきた擬人式神に驚いて、雅臣が広場で足を止めた。十五体の擬人式神に目の前をちょろちょろされては目障りだろう。霊刀と触手が、翻弄するようにするすると逃げる擬人式神を狙って何度も空を切る。薄暗いとはいえ、急がなければ仕掛けがバレてしまう。
 広場に入ったところで春平は足を止め、弘貴は朱雀を連れて印を結びながら雅臣に突っ込んだ。向かってきた触手を何でもないことのように避ける。雅臣が振り向き、鬱陶しそうに顔を歪めた。擬人式神十五体に、弘貴と朱雀。標的が多いほど、意識も触手も分散する。
 弘貴を捉え損ねた二本の触手がそのまま襲ってきた。春平は避けながら左手を構え、真言を口にした。
「オン・シュチリ・キャラ・ロハ・ウン・ケン・ソワカ! 帰命(きみょう)(たてまつ)る、邪気剿滅(じゃきそうめつ)碍気鏖殺(がいきおうさつ)――」
 擬人式神のうち一体がほのかに光を放ち、触手が一斉に標的を定めた。光る擬人式神が、触手を避けながら雅臣と距離を縮めていく。雅臣が一瞬驚いた顔をして、すぐに仕掛けに気付いた。舌打ちをかまして霊刀を構える。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
 霊刀に渦を巻いた水が顕現する。まとめて一掃する気だ。間に合うか。弘貴がこちらへ下がりながら印を結んだ。
久遠覆滅(くおんふくめつ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 一体の擬人式神が強烈に発光したのと、弘貴が九字結界を発動させたのと、雅臣が霊刀を振り抜いたのがほぼ同時だった。
 すぐ間近で水塊が結界に激突した音が響き、小ぢんまりした広場をまばゆい光が覆い尽くす。そして。
「あああぁぁぁ――――ッ!」
 雅臣の悲痛な叫び声が響き渡った。
 夏也が考えた擬人式神の新しい使用方法は、これだった。擬人式神は人の形をかたどった和紙でできている。当然、何も書かれていない。夏也は、擬人式神に符号を描くことで動く霊符にしたのだ。
 触手が相手の場合、すぐに霊符を放つと破られる。だからぎりぎりまで放たずにいたが、これだと擬人式神自体が避けてくれるため、破られる確率が低くなる。さらに、今回のように事前に待機させていれば、不意をついて発動させることが可能だ。ただ一つ、難点がある。敵に使用される可能性があるのだ。真っ白な擬人式神に黒い墨で符号が描かれていれば目立って当然。動きが素早くサイズはかなり小さいが、動体視力がいい者や勘の良い者なら分かる。それに、今回で雅臣に知られてしまった。次からは警戒されるだろう。
 ただ、こう言っては申し訳ないが、相手が運動の苦手な雅臣で助かったと思う。これが他の者、特に昴や満流、あるいは平良だったら通用しなかったかもしれない。
 何にせよ、次からは使い方を工夫しなければならないだろうが、擬人式神の霊符が実践で通用することは分かった。それと、ここまでの対戦で判明したことが二つある。
 一つ目は、雅臣自身のこと。悪鬼を取り憑かせれば飛べる。無真言結界は行使できない。おそらく水属性。
 二つ目は、取り憑かせた悪鬼のこと。地面に叩きつけられた瞬間、悪鬼が縮んだ。下平から展望台の報告を聞いた時、雅臣の怒り具合に呼応して悪鬼が現れ、落ち着きに比例して姿を消したように感じたが、おそらく間違っていない。完全にリンクしているかどうかは分からないが、多少なりとも影響はある。
 そして、悪鬼を調伏するデメリット。悪鬼を取り憑かせているせいで居心地が悪いのなら、調伏すれば調子を取り戻す。彼自身が持つ負の感情も影響するかもしれないが、それでも悪鬼を取り憑かせている時よりはずいぶんとマシだろう。
 調子を取り戻し、霊刀を扱える雅臣と、二人がかりとはいえ霊符だけが武器の自分たち。実力は大差ないと推測されているが、どこまで通用するのか。
 弘貴が結界を解き、朱雀が二人の元へ戻り、徐々に光が薄れてゆく。無事調伏できたらしい。十体ほどだろうか。擬人式神が、出番は終わったとばかりに木々の影に消えていく。さすがに全てが無事というわけにはいかなかったが、それでも十体残っていれば上出来だ。
「朱雀。夏也さんの援護に行ってくれる?」
「頼んだぞ、朱雀」
 春平が光の中で倒れ込んだ雅臣を見つめたまま告げ、弘貴が鼓舞するように拳を握る。朱雀は尾を振って身を翻し、神苑へと飛び去った。剣戟の音と、結界が火花を散らす音が響いてくる。
 雅臣が状況判断をするのなら、彼を制圧すれば真緒も素直に従ってくれるかもしれない。
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