第9話

文字数 2,398文字

 ふと、そうだと下平が再び口を開いた。
「千代の力に関係することで、質問が」
「何でしょう」
「実は、榎本が班の奴らに話してしまって、そいつらが」
「はあ!?」
 樹が素っ頓狂な声を上げて下平の言葉を遮った。その迫力に気圧されて、大河は思わず声を飲み込んだ。確かに驚いたけれど、そんなに声を張らなくても。
 樹は目を据わらせてずいっと下平に迫った。怜司が密かに溜め息をつく。
「昨日から気になってたんだけど、榎本って深町弥生を目撃した女刑事だよね。僕と怜司くんを聴取したあの女刑事だよね!」
 二度言った。哨戒ノートには、少年襲撃事件の詳細が書かれていただけで、さすがに聴取の様子までは書かれていない。弥生の件についても、榎本は下平の部下、とだけしか聞いていなかった。樹と怜司を聴取したのは彼女なのか。二人の間で一体何があったのだろう。
 ぽかんとする大河たちをよそに、下平は樹の頬を押しやった。
「お前の言いたいことは分かってる。いいから最後まで聞け」
 面倒臭そうに言われて、樹は下平の手を払いのけた。むうと唇を尖らせ、身を引く。まったくとぼやき、下平は気を取り直すように咳払いをしてから、改めて口を開いた。
 班の部下たちに鬼代事件の全容を話したことから、そこで出た疑問の数々。そして彼らをどう説得したのか。
 下平の報告を聞きながら、大河はさすが警察官だなぁと感心した。加賀谷のこともそうだが、留置場や刑務所なんか思い付きもしなかった。
「――以上です。すみません、榎本に口止めをしなかった俺の責任です」
 そう言って、下平は最後に頭を下げた。
「もう話しちゃったんだからしょうがないけど、でも、本当に大丈夫なの? 特に榎本って刑事」
 樹が胡乱の眼差しで下平を見やる。下平の部下、という保証があっても、樹にとって彼女はよほど信用に欠けるらしい。
「大丈夫だ」
 下平は断言したが、樹はいまいち納得しきれない顔だ。紺野が口を挟んだ。
「樹。ここへ来る前に、下京署で榎本たちに会って、俺からも釘を刺しておいた。ぶっちゃけ、榎本が来なければ下平さんが怪我をすることはなかったかもしれん。次も無事でいられる保証はない、絶対に動くなってな。北原のこともあるから本人もそれは分かってたし、かなりへこんでた。他の刑事も一緒だ、勝手に動かないだろ。心配すんな」
 そこまではっきり言ったのか。それに、と紺野は続けた。
「元々菊池の事件は彼らの担当だ。危険だからって、何の説明もなしに捜査を打ち切るわけにはいかねぇだろ。それとだ。今思えば、そう簡単に見つからないって前提だったにせよ、もし菊池を発見して不用意に接触されれば、それこそ危険だった。ここは下平さんを信じろ」
 確かに、そう簡単に見つかれば苦労しないと思わなくもないが、その危険もあった。事情を知っていても知らなくても危険だなんて、厄介な。
 紺野の理屈は至極まっとうだ。榎本は落ち込んだだろうが、それは彼女たちのためでもある。それに、紺野も好きであんなことを言ったわけではないだろう。上司が不審な行動をしていれば、気にもなる。それが担当している事件に関わっていることかもしれないと知れば、なおさらだ。紺野の厳しい指摘は、榎本の気持ちを理解し、彼らの身を案じた上でのこと。言われた方も言う方も、辛かっただろうに。
 けれど、樹から納得の言葉は出なかった。視線を落とし、しかめ面で何か考え込むような態度を取る。紺野と下平が、困ったように顔を見合わせた。
 ふと、樹が顔を上げた。
「分かった。さっきも言ったけど、話しちゃったんだからどうしようもないのは分かってるんだ。ただ」
 樹は言葉を切り、紺野へ視線を向けた。
「紺野さん」
「うん?」
「北原さんに、謝っといてくれる?」
「は?」
 唐突な要求にきょとんとしたのは、当主二人と宗史、晴、怜司以外の全員だ。
「北原さんが襲われたの、多分、僕のせいだから」
 突然の話題の転換と見解に、「え」と吐息のような驚きの声が漏れた。言っている意味がさっぱり分からない。下平が横から口を挟んだ。
「お前、もしかして北原を襲ったのが平良だからそんなこと言ってんのか」
「そう」
「あのな」
「ちゃんと考えた上で出した結論だよ」
 下平の言葉を遮って、樹は言った。
「僕も、初めは計画の一環だと思ってた。いや、ある意味そうなのかな。菊池が下平さんに警告したのは、平良に殺すなと言われてたからだと思う。それでも昨日悪鬼に狙わせたのは、取り憑かれてたからって考えれば納得がいく。攻撃性が増してて、ただ殺す気はなかった。牽制するつもりだったんだよ。平良の狙いは僕。北原さんが襲われた時、僕から一番遠かったのは、北原さんだから」
 紺野が怪訝な顔をした。
「遠かった?」
「僕と一番関係が薄いって意味」
「関係って……、まさか、お前を追いつめるために……」
 目を見開いて呟いた紺野に、樹は小さく頷いた。
「あれは、僕への挑発」
 いつもの声色で告げられた言葉は、それでも重苦しく耳に響いて、無意識に息が詰まった。
つまりだ。平良は、樹を挑発するために周りからじわじわと追いつめるつもりなのか。その手始めが北原で、最終的に狙うのは、間違いなく下平と冬馬。
 確かに、ゲームと言い切った平良ならやりそうだとも思うし、あの事件は目的がさっぱり分からなかったけれど、いくらなんでも飛躍しすぎでは。
「だから、これ以上関わって欲しくないんだ。本当は、熊田さんと佐々木さんにも外れて欲しい」
 きっぱりと言い切られ、熊田は渋い顔で逡巡し、佐々木は困惑顔を浮かべた。
 飛躍しすぎとは思うけれど、可能性としてはある。となると、もし「次」があって、樹と関係が薄い者から順に狙われるのならば、今一番危険なのは熊田と佐々木だ。二人は顔を見られている。
 大河は唇を一文字に結んだ。自分のせいで誰かが傷付くことがどれだけ辛いことか、よく分かる。
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