第12話

文字数 2,306文字

「ところで、明」
「はい?」
「向小島での大河の対処について、陽は何か言っていたか?」
「ええ。とても感心していましたよ」
 陽は、大河の対処をぽかんと口を開けたまま聞いていた。僕そんなの思い付きません、すごいですねと称賛しつつも、でも悔しいです、と素直に唇を尖らせた。
「廃ホテルのことを含め、勉強になると言っていました」
 そう締めくくると、宗一郎はそうかと小さく笑った。
「陽は素直で助かるな」
「いい子に育ったでしょう?」
「このまま成長してくれることを祈るよ」
「それは大丈夫です。僕が保証しますよ。……春と大河くんのことですか?」
「ああ。さすがに、戦闘中に余計なことを考える余裕はないと思うが――」
 不意に宗一郎が言葉を切り、明は振り向いた。
「場合によっては、外すことも考えている」
 その判断に、特に驚きはしなかった。
 負の感情とひと言で言っても、他人へ向けてのものだけを指すのではない。自身への嫌悪、卑下、失望といった、自分自身へ向けるネガティブな感情も含まれるのだ。今の春平は、この両方を抱えている。まさに、悪鬼に取り憑かれやすい状態だ。それだけではない。迷いや自信のなさは判断力や動きを鈍らせ、失敗を招く。それが積み重なると、最悪の場合、霊力が封印されかねない。さらにタイミングを誤って戦闘中に霊力が使えなくなろうものなら、間違いなく命を落とす。
 宗一郎は、そうなる前にと考えたのだ。一旦事件から外し、ゆっくりと現状や自分自身に目を向ける時間を与える。そうして出された答えがどんなものでも、受け入れるつもりなのだ。
「……分かりました」
 何か手を打てばと思わないこともない。だが、安易に言い聞かせても、結局は春平自身が納得しなければ根本的な解決にはならない。これを乗り越えられないのなら、これから先、おそらく春平が陰陽師としてやっていくのは難しい。陰陽師にとって、精神の安定と強さは必須なのだ。
 正直に言えば、高校生相手に精神的な安定を求めるのは、酷だと思う。成長期で多感な年頃ゆえに、些細なことで傷付き、悩んで迷うのは当然のことだ。だが逆を言えば、その果てに出した答えは、この先彼にとって大きな指針となるだろう。
 だからこそ、どんな答えを出したとしてもせめて前向きな理由であって欲しいと願うのは、とても勝手だと思う。彼を陰陽師として見出し、育てたのは自分たちなのだ。
「あの子は、確かに内に込めやすいタイプだ」
 不意に、宗一郎が言った。
「だが、そんなことはお構いなしで引きずり出す友人がいる。そう悲観することはない」
 弘貴のことか。明は短く息を吐き出し、口元に笑みを浮かべた。
「そうですね」
 弘貴だけではない。夏也もいる。彼女は、言うべきことは言う性格だ。茂や華もいる。彼らを、春平を信じるしかない。
「ああ、そうだ」
 友人と聞いて思い出した。
「陽の友人からの依頼ですが」
「どうだった?」
「閃を調査へ行かせましたが、厄介なことになるかもしれません。もともと居ついていた浮遊霊が活発化し、数体に襲われたようです。陽の友人の話を聞く限り、今のところ人への被害は大したことありませんが、これ以上活発化すれば他の悪鬼を呼び込んでしまうかと」
「だろうな。あまり放置するわけにはいかないか」
「ええ。騒ぎが大きくなります」
「とはいっても、今回の勝敗によるがな」
「縁起の悪いことを言わないでください」
 眉をひそめて睨むと、宗一郎は「ははっ」と短く笑った。笑い事じゃない。まったく、と一つぼやいて車窓へ目を向けると、携帯が着信を知らせた。
 袂から携帯を取り出して確認すると、弘貴からのメッセージだった。一瞬、春平に何かあったのだろうかと不安にかられたが、まったく別の意味で息が詰まった。
「宗一郎さん」
 神妙な声に、宗一郎が明を一瞥した。
「何かあったか?」
「ええ。弘貴からですが、夕飯に松阪牛を食べますと」
 食べてもいいか、ではなく確定の連絡に、宗一郎が沈黙した。一般の会社同様、遠征の交通費や宿泊費などは経費で落とすことになっているが、食費は自費だ。ただ今回の場合、事情が特殊なので経費で落としていいと伝えてある。各班にしっかり者が一人二人、あるいは式神がいるので、そう高額にはならないだろうと思っていたのだが、まさか松阪牛とは。
「六人だったな」
「六人でしたね」
「紫苑もいたな」
「紫苑もいましたね」
 紫苑と鈴を放っておくような真似はしないだろう。オウム返しの答えに、諦め顔をした宗一郎から長くて深い溜め息が漏れた。
「了解した……」
「では、そのように」
 ああ、と呟いた声は、珍しく覇気がない。明は笑いを噛み殺しながら「了解」とメッセージを返した。高額になるため一応連絡をと思って寄越したのだろうから、今頃、伊勢神宮班は沸き立っていることだろう。
「やっぱり、自腹にするか……」
「結界、壊されるかもしれませんねぇ」
 冗談交じりに言って笑うと、宗一郎が渋い顔をした。
「やめろ。まったく、ここぞとばかりにあいつらは」
 しかめ面で、贅沢な、とぼやく宗一郎に、明はくすくす笑いながら携帯をしまった。
「ひと言で松阪牛といってもピンキリですから、大丈夫ですよ。華と夏也がいますし。それに、重苦しい雰囲気になるよりいいじゃないですか。紫苑もきっと喜んでくれます」
 彼らが生きていた時代とは、すっかり様変わりした現代。寮での生活、携帯、新幹線や車同様、食文化も自らの舌で味わった方が馴染みやすいだろう。
 宗一郎は溜め息をついて、ぼそりと言った。
「宗史たちは、節約してくれることを祈る……」
 声が切実だ。深くて長い溜め息をついた宗一郎に、明は声を上げて笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み