第3話

文字数 2,375文字

 車内に微妙な空気が漂う中、やっと四人の携帯が同時に着信を知らせた。宗一郎から、グループメッセージの同時通話だ。全員が出る必要はない。すぐに香苗が出て、弘貴、樹、陽、少し遅れて大河。各地と電話が繋がった。お疲れ様でーす、皆生きてるー? と安否確認の挨拶が飛び交う。
「全員無事だな?」
「はい」
 何かあればこんなに落ち着いていないだろうとは思うけれど、やっぱり多少の不安はある。五人の即答に、美琴たちはほっと胸を撫で下ろした。
「皆、ご苦労だった。先程栄明さんにも連絡を入れたが、あちらも無事だ」
 言葉にならない安堵の声が車内に満ちて、良かったと喜びの声が携帯からも漏れ聞こえた。連絡が少し遅かったのはそのせいもあるのだろう。何か収穫はあっただろうか。
「さっそくだが、連中を拘束した者はいるか?」
 車内の和んだ空気が一気にしぼみ、通話が切れたのかと思うほど、携帯がしんと静まった。誰もいないらしい。くつくつと宗一郎が笑いを噛み殺した。
「奴らも馬鹿ではない。逃げる算段は付けていたさ。想定内だ。では明日、全員が戻り次第寮にて会合を開く。詳細はその時に聞くが、早急に報告すべきことはあるか?」
「あの……」
 おずおずといった様子で口を開いたのは大河だ。えっと、ともごもごと言いづらそうに口ごもる。何かあったというよりは何かやったなと思ったのは、美琴だけではない。
「大河くん、今度は何をやらかしたの。どうせ分かるんだからさっさと言いなよ」
 ごもっともだ。溜め息交じりの樹の突っ込みに茂が肩を震わせ、香苗が苦笑いし、右近が嘆息した。
「あの、実は……すみません!」
 電話越しでも分かる。大河は今勢いよく頭を下げた。
「影綱の独鈷杵を奪われました!」
 吐き出すように告げられた報告に、えっ、と驚きの声を上げたのは、宗一郎と樹以外の全員だ。想定内だったのか、大したことではなかったのか、それとも想像以上の報告で声も出なかった――などということは、あの二人に限っては有り得まい。
 せっかく回収したのにと思わないこともない。けれど、争奪戦に参加しなかった自分に責める権利はないのだ。それよりも、一体誰にと、そちらの方が気にかかる。
 しばし沈黙が流れ、尋ねたのは宗一郎ではなく樹だった。
「相手は誰だったの?」
「た、平良ですっ」
 不気味なほど冷静な声色に、今大河は背筋をこれでもかと伸ばしたに違いない。
「単独?」
「はいっ」
「じゃあ、君の相手は悪鬼?」
「はいっ」
「牙は現れなかったの?」
「え? あ、はい。そういえば……」
 マジか、と言ったのは志希だ。元より、牙が現れるのは向小島だけかもしれない説は出ていたし、不思議ではないけれど。
 ふぅん、と打った相槌は、明らかに何か含まれている。怖すぎる。電話越しに緊張感が各々へ伝わっているのだろう。再び重苦しい沈黙が落ちたあと、樹が端的に問うた。
「で? 君はどうするの?」
「絶対に取り戻します」
 食い気味の返事は、覚悟と決意がこもった強い声だった。ふ、と樹が笑った。
「ん、よろしい」
「はいっ」
 呆気に取られた。さっきの緊張感が嘘のような、あっさりした会話。お互い、何を聞かれてどう答えが返ってくるか、分かっていたかのようなやり取りだ。
「他にあるか?」
 どことなく満足そうな声で話題を戻した宗一郎に、弘貴が「あ」と小さく呟いて言葉を切った。というより、言いあぐねたといった方が正しいだろうか。
「弘貴、どうした?」
「あー……、いえ……」
 こちらもまた何かやらかしたのだろうか。怪訝な顔をした美琴と、小首を傾げた香苗が顔を見合わせた。
「いえ、すみません。今はいいです。それより紫苑が」
「柴主!」
 弘貴の声を遮ったのは、言わずもがな紫苑だ。弘貴の様子はおかしいが、こちらは通常運転らしい。耳だけで会話を聞いていた柴が、美琴の向こう側からひょいと顔を覗かせ、香苗が慌てて携帯を差し出した。くすくすと笑い声が漏れ聞こえる。
「柴主、ご無事ですか!」
「ああ、無事だ。お前も無事のようだな」
「はい」
「ご苦労だった」
「あ……」
 紫苑が中途半端に言葉を切り、とたん、柴が訝しげに目を細めた。こんな時、「柴主もご無事で何よりでございます」とか「身に余るお言葉!」とか何とか大仰な反応をしそうなのに。通常運転ではないのか。美琴と右近の眉間にしわが寄り、茂が不思議そうな顔でこちらを振り向き、香苗が小首を傾げた。
 弘貴といい紫苑といい、絶対何か隠している。
「紫苑、どうした?」
「あ、いえ。申し訳ございません。その……」
 しどろもどろにまた途切れた。痺れを切らしたのは樹だ。
「ちょっと、伊勢神宮班。何か隠してるでしょ」
 少々苛立ちが混じった率直な問いかけに、弘貴たちから答えは返ってこなかった。落ちた沈黙に、樹が盛大な溜め息をつく。
「あのねぇ」
「樹、いい」
「でも宗一郎さん、絶対何かあるよ」
「そのようだな。――華」
「あっ、はい」
 あのメンバーなら、まとめ役は華だ。華の返事に返されたのは、説明しろと無言の圧力。何を隠しているのか知らないが、相当言いづらいことなのだろう。えっと、と言い淀む華の声が微かに届き、結局返ってきたのは。
「……一日、時間をください」
 説明になっていない答えだった。樹が呆れた溜め息をついた。こうも言いづらいこととは何だ。一体何があった。そんな不可解と困惑の空気が車内に広がり、携帯の向こう側からも伝わってくる。
「分かった。ただし、明日の会合で必ず報告してもらう。いいな」
「はい……」
 気が重そうな、覇気のない返事だった。
「他にあるか?」
 ありません、と返したのは樹、大河、香苗、陽だ。
「今日は本当にご苦労だった。ゆっくり休んで、明日は気を付けて帰って来なさい。以上だ。お疲れ」
 お疲れ様でーす、と間延びした挨拶が飛び交い、香苗は最後に通話を切った。
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