この記憶はなにものか

文字数 535文字

 時は戻らない
 喪ったものは還らない
 それは
 本当にそうだろうか

 死んだ者は
 たしかに死んだまま
 もう生きることはない
 過ぎ去った瞬間は
 たしかに遠ざかるまま
 もう訪れることはない

 それは
 本当にそうだろうか
 本当のことなのだろうか

 子どもの頃の帰り道
 通学路を外れた道草
 廊下で流した鼻血
 正月の馬鹿騒ぎ
 夏が来るたびに泳いだ海の青さ
 浜辺への意外な距離への絶望
 クラゲの痛み
 打ち上げられたタコの死骸
 玄関先で破裂した炭酸飲料
 空き地と車庫を利用した秘密基地
 永遠のような休み時間の鬼ごっこ
 真空のように居心地の悪い教室
 教会のように静穏な図書室
 ふたりで乗った自転車
 ゲームセンターの停滞した時間
 映画撮影とは名ばかりのごっこ遊び
 住宅街をひとりで歩いた夜明け
 病院の信じられないほどの白さ
 毎日のように通った古本屋
 夜毎のベンチの語り合い
 喫茶店の安らぎ
 美術館の胸騒ぎ
 だれかとの出会い
 だれかとの別れ
 だれかの死
 だれかの葬儀
 だれかの涙

 すべてみな
 本当にあったことか
 本当に過ぎ去ったことか
 死んでいるような現在よりも
 よほど生命(いのち)に満ちたこの記憶は
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