彼を待つ

エピソード文字数 489文字

 死にたい
 とても死にたい
 震えながら
 かすれ声で
 空気の底に焼きつける
 死にたい
 とても死にたい

 死を忘れながら歩く
 死を忘れながら歌う
 死を忘れながら恋をする
 その歩行は
 その歌唱は
 その懸想(けそう)
 本当に死と無関係か
 歩行を担うその脚は
 歌唱に震わすその声は
 懸想に焼かれるそのこころは
 本当に死と無関係か

 眼前の焚死(ふんし)
 橋上の頓死(とんし)
 水底の殉死(じゅんし)
 頻々と増えまさる
 わたしたちの死装束(しにしょうぞく)

 産湯に浸かったときに
 とても愛おしい横顔で
 死はまごころをこめて誓ってくれた
 必ずやあなたを迎えに行くと
 穏やかでかぼそい
 ひびわれた声で
 あなたがいかなる危難にあり
 望みのすべてを断ち切られても
 必ずやあなたを救い出すと
 死は婚約の契りを交わしてくれた
 わたしは頬を染めて
 はにかみながら承諾した
 わたしの生涯に起きた
 ただ一度だけの両想い
 生きるよすがになりおおせた温もり

 いまわたしは
 婚前の憂鬱に包まれ
 ひとり
 明け方の光を待っている
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