第640話 大阪市の市電
文字数 576文字
山崎豊子の「暖簾」を読んでいて、何気なく思い出したことがある。母は山崎豊子と相愛高等女学校で同級生だったことを何度も自慢げに話していたことを覚えている。ならば母はどのようにして相愛まで通っていたのだろうと考えた時、うかつにも市電に(大阪路面電車)乗っていたことに初めて気づかされたのだ。母の自宅のあった福島区のすぐそばを市電が走っていた。その市電に乗って母は毎日、相愛のある本町まで通っていたのだ。
自分が小学四年生までは、父と結婚した母は大阪南の黒門市場の前に住んでいた。黒門市場の前を北に向かえばすぐそこに市電が走っていた。当時の市電の車両の前にはネット上の大きな網が取り付けられていたことを鮮明に覚えている。それはもちろん事故防止のためであったのだが、何ともおかしげなものであった。そしてその市電に揺られて母の実家のある玉川四丁目まで行ったことが懐かしい。多分どこかで乗り換えて行ったのだろうがそのあたりは全く思い出せない。
しかし、大事なことが記憶としてつながった。玉川四丁目の数駅手前の川口町、安治川周辺にはあの宮本輝が住んでいたのだ。彼の書いた「泥の河」はそのあたりの風景がえがかれていたことを改めて思い出すこととなった。彼とは二つ違いなのでひょっとして何処かでめぐり合っていたかもしれない。人と人とのつながりは全く不思議なものだと思う。
自分が小学四年生までは、父と結婚した母は大阪南の黒門市場の前に住んでいた。黒門市場の前を北に向かえばすぐそこに市電が走っていた。当時の市電の車両の前にはネット上の大きな網が取り付けられていたことを鮮明に覚えている。それはもちろん事故防止のためであったのだが、何ともおかしげなものであった。そしてその市電に揺られて母の実家のある玉川四丁目まで行ったことが懐かしい。多分どこかで乗り換えて行ったのだろうがそのあたりは全く思い出せない。
しかし、大事なことが記憶としてつながった。玉川四丁目の数駅手前の川口町、安治川周辺にはあの宮本輝が住んでいたのだ。彼の書いた「泥の河」はそのあたりの風景がえがかれていたことを改めて思い出すこととなった。彼とは二つ違いなのでひょっとして何処かでめぐり合っていたかもしれない。人と人とのつながりは全く不思議なものだと思う。