第391話 絶対の罠
文字数 423文字
最近つくづく思うことがある。それは、人は絶対のない世界に生きているということだ。しかし、人は絶対の何かを求めたがる。絶対の愛、絶対の幸福、絶対の真実、絶対の正義、そんなものはこの世界には残念ながら存在しない。人間世界の大きな罠だと思う。
メディアは声高にそれらの存在を求めようとする。そうすることによって、人々を引きつけようとする。誰もが絶対の何かを求めたがっていることを知っているからだ。
コロナが少し終息に近づいたと思ったら、ロシアのウクライナ侵攻という大事件が起きている。しかし、世界の人々は、日々報道されるウクライナの惨状に同情やわずかばかりの支援を送ることができても、根本的な解決策を生み出すことはできないでいる。世界中が模様眺めの中にいるといっても過言ではない。どうしようもないことなのだろうか。
絶対の幸せがないように、絶対の平和は、この世には存在しないのだ。いくら歳を重ねても、いつまでも青臭いが自分がいる。
多田神社にて
メディアは声高にそれらの存在を求めようとする。そうすることによって、人々を引きつけようとする。誰もが絶対の何かを求めたがっていることを知っているからだ。
コロナが少し終息に近づいたと思ったら、ロシアのウクライナ侵攻という大事件が起きている。しかし、世界の人々は、日々報道されるウクライナの惨状に同情やわずかばかりの支援を送ることができても、根本的な解決策を生み出すことはできないでいる。世界中が模様眺めの中にいるといっても過言ではない。どうしようもないことなのだろうか。
絶対の幸せがないように、絶対の平和は、この世には存在しないのだ。いくら歳を重ねても、いつまでも青臭いが自分がいる。
多田神社にて