第14話 心配事がないという不安
文字数 409文字
今の自分を客観的に見たとき(自分が言っているのだから、あまり客観的とは言えないが)、心身ともにほとんど心配事がない、不安が少ないのだ。まことに嬉しき、喜ばしき状態なのだ。強いてあげれば、コロナには感染したくない、夜をもう少しぐっすり眠りたい、あちこちで歩きまわりたい、くらいのことかと思う。妻、家族ともうまく行っていると思うし、からだも年齢からすると普通(平均)よりは健康だ。もちろん、年相応の持病はあるけれど、それは仕方がないことだ。「心配事がないという不安」という状況にある。何故こういう贅沢な不安に襲われるのか?
敬愛する養老先生にいわせれば、不安のない人は馬鹿だ、あって当たり前という。だから、こういう不安も許されることになりそうだ。ついでに、こうも言われている。相手がはっきりしないものを「不安」、はっきりとしているものを「恐怖」と呼ぶ。あちらの世界に行けば、まったく何もない「無」の世界が待っている、と。
敬愛する養老先生にいわせれば、不安のない人は馬鹿だ、あって当たり前という。だから、こういう不安も許されることになりそうだ。ついでに、こうも言われている。相手がはっきりしないものを「不安」、はっきりとしているものを「恐怖」と呼ぶ。あちらの世界に行けば、まったく何もない「無」の世界が待っている、と。