第638話 作家と人格

文字数 792文字

 読書は今の自分にとって大きな趣味だ。最近は、好きな作家ばかりでなく、過去の直木賞や芥川賞の作品も遅ればせながら読むようにしている。その中でも、芥川賞作家の宮本輝は大好きな作家の一人だ。ほとんどの作品を読んだだろう。先日、古本屋で氏の「二十歳の火影」というエッセイ集を100円ほどで買ってきた。それを我がトイレの小さな図書館に追加した。その中身は宮本輝の小さいときからの両親との思い出や学生生活などの姿が偲ばれるエッセイ集だ。いわば作家としてではなく、本当の姿かそれに近い情景が描かれているようだった。宮本輝の作品のバックボーンがそのあたりにあったのだろう。





 多くの読み終えた小説は氏の作品なのだからもちろん美化されたり、少しオーバーに書かれていたり、装飾をほどこしたりするのは当たり前のことだ。しかし、小説の中だけで作家を感じ過ぎると、小説イコール作家と思えてしまうところがある。それがある意味、作家へのファン気質というものかもしれない。そういう意味ではこのエッセイ集は氏の文春的暴露本なのだ。
 実は、昔の一時期大阪のはずれ、能勢で営業していたことがあった。その時の飛び込んだ小さな工場の店主は、まさかの宮本輝の同級生だった。会話の中で「宮本輝の小説の大ファンなんです」と言うと、返ってきた言葉が「ええかげんなやっちゃ!」と一言で切り捨てられたのだ。その時は推しの作家を批判されたようで、少し腹が立ったことを今でも覚えている。でも、この本を読み進めるうちに、実際はそういう面もあるかもしれないと少しは思えるようになった。自分の人生経験も含めての老境真っ只中の今の心境なのだ。
 要は、小説イコール作家ではないし、人格ではないということだろう。表裏一体とはよく言った言葉だと思う。俳優や政治家、様々な有名人のゴシップ華やかなご時勢である。完璧な人間などこの世に存在しないのかも知れない。



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