第150話 「我思う、故に我あり」

文字数 535文字

 「我思う、故に我あり」という言葉が好きだ。実際に自分が見るこの世の中は、自分が見ているようになっている。だから、他人は全く違う見方をしているかもしれない。みんなそれぞれ違うのだ。だから世の中は面白いのかもしれない。年齢を重ねて、益々この言葉の意味を実感する。
 この言葉は、フランスの生まれの哲学者、デカルト言葉だ。全てのものごとは、自分が如何に思うかで決まってくる。心の持ち方ひとつで世界が変わってしまうという、単純で明快な理論だと思う。
 人への好き嫌いも、世間に対する考え方も全て自分が思っているように展開される。その思いや考え方を自分で変更すれば、全てが変更される。このような考え方を使って、自己啓発や宗教が行われることもあるようだ。


 けれど残念なことに、理論ではそうなっていてもなかなか実行することは容易ではない。仏道修業も、千日回峰も、座禅も、ヨガも、断食も、お遍路さんも、全てはこの自分の思いや考え方の変更のために行っているのかもしれない。
 死ぬほど嫌いだと思っている相手を好きになれ、または無関心、無反応になれと言われても、そうは簡単にできないのが人間なのだ。
 でもみんながそれに挑戦し続けているということは、暗にそれを認めていることと言えるかもしれない。



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