「むなしさ」の味わい方 (2024/3/31)

文字数 1,065文字

2024年1月19日 第1刷発行 2月15日 第2刷発行
著者:きたやまおさむ
岩波新書


精神分析医の一般向け教養書であろうと想像して手を付けた、幅広い視野と分かりやすい説明が印象的だったが、無理やりの工作が感じられる箇所も多く、結局は難解なテーマに挑んでしまったという読後感が残った。

そのあたりを 著者のあとがきで確認しておこう(以下引用):
《本書は蔓延していると感じる「むなしさ」につき、自己分析を踏まえ、日本語・日本文化や現代社会を見据えながら書いた。
もちろん最近の私の一般向け書物と同様、フロイト知論や精神分析の対象関係論の考えを生かしている。
しかし、「むなしさ」を感じたなら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば自分で考えてみたらと提案しているのだから、理論的なことやこのテーマにかかわる議論は細かく書き込まなかった》
・・・とあり、そのあと、より知的に関わりたい読者へのお薦め専門書が列挙されている。

しかし、このレベルのこのボリュームの教養でぼくには十分だった。
延々と一冊の新書で語られていたのは、「むなしさ」は消えない、撤去もできない、そして必ず心の沼に漂い悪臭を放つものだが、この「むなしさ」を自分だとして認め向かい合い溜め込むことから人生を永く生きることができるという教えだった。

毎夜毎晩、悪夢の悩まされる身としては、この悪夢が心の沼の象徴だということも理解でき、無理やり安堵する。
幸か不幸か、精神的に鈍感な人生を送ってきたので「むなしさ」に悩む暇なくここまでやってこれたとも、これまた無理やり安堵する。

こんな記述にもおおいに安堵した:
《・・・多くの場合、歳をとることや老化の進行は、大病や大怪我をしない限りゆっくりと進んでいるので、激しい外傷体験となることはあまりありません。
自分は若いという「錯覚」から、歳をとったという「脱錯覚」に至る移行は、例えば、若いころと違い、年寄りの冷や水を回避して、老人むきの遊びや楽しみを得ていくことなどで、自分の中でうまく橋渡しができているからです・・・》

著者は、ぼくらの世代のヒーローであったフォーククルセダーズの北山修さん、お互い元気にしぶとく生き残ったものよと、エールを送るのだ。

以下、章立てをお知らせしておく:
序章:「むなしさ」という感覚
第1章:「喪失」を喪失した時代に
第2章:「むなしさ」はどこから・・・心の発達からみる
第3章:「間」は簡単には埋まらない・・・幻滅という体験
第4章:「むなしさ」はすまない・・・白黒思想と「心の沼」
第5章:「むなしさ」を味わう
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