土の記 (2017/3/20)

文字数 905文字

2016年11月25日 発行
高村薫
新潮社



サスペンス小説の女王、高村薫が到達したのはなんと農民文学だったという驚愕の想いと、
それを拒否する僕がいて複雑な快感の読書体験だった。
彼女の作品にひかれたのは、《リヴィエラを撃て》、《マークスの山》、《黄金を抱いて翔べ》に代表された犯罪者の視点でのクライムノベルの魅力だった。
シリーズとなった「合田雄一郎刑事シリーズ」(マークスの山、照柿、レディジョーカー、太陽を曳く馬、冷血)は、しかしながらポリスストーリーとしては異色の展開となり、近作では合田刑事が陰になる展開もあり、犯罪捜査から一歩離れた社会性にのめり込んでいくような傾向になっている、これこそが高村文学なのではある。

一方で、東北地方の政治家一家を描いた大河シリーズ(春子情歌、新リア王、太陽を曳く馬)における男と女の情念、
人の性の怨念を愚直なまでに延々と書き記していく姿に、僕は辟易しながらも引き寄せられるのを拒むことができなかった。

そして本作「土の記」、
古希を過ぎた男やもめのコメ作りがまずはその骨子となっている、農民文学と揶揄したのは
その描写があまりにも微細であるからに他ならない。
その主人公は奈良シャープ工場に勤務していた際に山奥の農家の婿として人生を再スタートし、2010年妻を不可解な事件で亡くし、その事故背景を訝りながら、いまは妻の残したコメ作りと畑栽培に没頭する、まるで理科の実験をしているように。
物語が、そのためコメ作りの日常作業に合わせて展開していくのも、コメ農家の日常に付き合うのも最初は僕には苦痛なのだが、最後には主人公のコメ作りにエールを送る自分を見て驚くのだった。
本作には、もちろんコメ作り以外のエンターテイメントが目白押しだ。
生前の妻の不倫疑惑、NY在の理解できない娘と天真爛漫な孫との交流、村の近所との付き合い、亡き妻の妹との淡い想い、
過疎と老害、そして自分自身の老いとの葛藤、全編を通じて脈打つ自然(太陽、雨、風)の脅威。
犯罪者も、超常現象もない平穏な物語であるはずなのに、僕は胸が締め付けられるような不安と悲しみを覚えてしまった。
高村文学の一つの頂を見た思いで満足している。
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