「科学者の楽園」を作った男 (2014/6/15)

文字数 955文字

2014年5月20日 初版
著者:宮田親平
河出文庫



サブタイトルが「大河内正敏と理化学研究所」、
本書は1983年の「科学者たちの自由な楽園ー栄光の理化学研究所」の
2001年文庫版を底本として今般の再版である。
恐らくは、スタップ細胞でその似非楽園を露呈してしまった理科研の話題性に
便乗した出版なのかもしれない。

しかし、内容は本のタイトルどおり、
基礎研究の大切さと研究者の心構えを切々と説き明かすものであり、
明治時代からの日本人論にもつながっている。
理科研が設立されたのは1917年(大正六年)、第一次世界大戦において連合軍にくみした日本が
欧米の遥か先行する科学技術に触発されてのことだ。
明治時代の「富国強兵」政策で、とりあえず先進技術を取り入れ模倣することで国力増強を図ったものの、所詮物真似は物真似にしかあらず。

根本的な科学(物理・化学)の基礎を持つことが将来の世界との競争には
不可欠であることを痛感する。
と、ここまでは合理的な展開であったが日清、日露戦争において「精神論」が
科学を凌駕する世論となってしまう。
そんな異常な環境を憂う先人たちが創設したのが理化学研究所だった。
1921年三代目所長に就任した、大河内正敏がその理想を実現していく過程、
そして第二次大戦で崩壊するまでのまさに波乱万丈がスリリングであった。
そして現代にあって
「理科研」が存在しなかったら自動車、TVなどの技術大国は実現しなかったろうと言われている。
いわゆる「科学技術立国論」の原点である。
本書ではその「模倣によらない独創技術」の数々をこと細かく紹介している
読了して想うのは、創設メンバーの一人池田菊苗が提案した、
諸学問の綜合、人間の多様性を分析した「人間未来学」の見直しだろう。

ところで、「科学者の楽園」とは具体的にどうだったのか?
●何の研究をしても自由、ただし独創的なもの
●研究時間は自由、研究予算も自由
●科学知識は悪用の危険性を持っていることを念頭に置く
●役に立たない研究をする
●寛容とユーモアの精神を持つ

なるほど当時の理科系学生が理科研に就職したいと願ったわけである。
ただし今の問題として、人間の多様性、政治(国家)の干渉などが科学研究を侵食している。
名声を求める輩、金銭を欲しがる俗人、残念ながらそこには理科研の精神は見いだせない。
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