武器としての「資本論」 (2020/7/16)

文字数 1,189文字

2020年4月23日 第1刷発行 7月6日 第6刷発行
著者 白井聡
東洋経済



御贔屓の白井聡さんの新作、政治本でもう6刷になっている人気に本書の魅力が見えてくる。
これまでは著者は戦後(太平洋戦争後)の政治体制、思想、政治家に絞って、現在日本の窮状を
論説してきた中での、快刀乱麻の鋭い切り口、新鮮な発想に魅了されてきた、これがご贔屓の理由。

ところが、戦後75年が経過した時点のいま、取り出したのがマルクスの「資本論」、僕も政治学を専攻したものとしていささか唐突感を覚えながらも、さてどんな展開になるのか大いに期待した。

本書では、「資本論」の原文解釈の丁寧な説明がまず先行する、政治学士の僕にも懐かしい言葉がちらほら・・・「商品」、「包摂」、「剰余価値」、「本源的蓄積」、「階級闘争」。
その説明たるや、令和の日本の政治的貧困を嘆きながらも極めて平易な表現であるために、
僕は今ではすっかり忘却の彼方にあった「マルクス資本論」に再会することになる。
最先端の「資本論」入門書だった。

いやいや、そんな素晴らしい入門書がどこをどうすれば「武器」になるのか?
入門書の最終講座に至り、階級闘争理論の解釈になると俄然現在の日本とオーバーラップする論理展開になる、このあたりの捌きが見事だ。
資本論にある文章:
《資本主義の発展に伴い、独占企業が巨大化し、階級分化が極限化する、それにより窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取が亢進し、ある一点でそれが限界を超える 》
さながら今の日本を観ているような状態だと指摘し、革命の時機到来になっていく論理ではあるが実際に日本ではそうなることもないとも断ずる。
しかし一方において、マルクス主義はひとつの統一された世界観、知の体形をなすものであり、今でも一つのパースペクティブからすべてを見通し、現実の認識理解に役立つものだと続ける。
とても身近な例を出してこうも言う:
私はスキルがないから価値が低いです…と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に侵され、魂までもが資本に包摂された状態です。
それに立ち向かうには、人間の基礎価値を信じることです。贅沢を享受する主体になる、つまり豊かさを得る。私たちは本当は、誰もがその資格を持っているのです。
新自由主義は単なる政治経済的なものではなく、文化にもなっておりそれは資本主義の最新段階であり、人間の思考・感性に至るまでの全存在の資本への実質的包摂にある。
そこから我が身を引きはがすことが資本主義のに対する闘争の始まりであり、意志よりももっと基礎的な感性に遡る必要がある。
どうしたらもう一度、人間の尊厳を取り戻すための闘争ができる主体を再建できるのか?

本日まさに新型コロナウィルスの感染拡大の真っただ中に資本は感染リスクを顧みずに「観光」にGOしろと宣う。僕の根源的な感性は、それは間違っていると答える。
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