街とその不確かな壁 (2023/4/17)

文字数 806文字

2023年4月10日 発行 
著者:村上春樹
新潮社


村上春樹が戻ってきた、若き血潮の村上春樹が。
それもそのはずなのは、本作が1980年発表した中編小説「街と、その不確かな壁」の修正版であり、今回はそこに数倍もの物語が追加で詰め込まれているわけだから、プロになる直前作の醸し出す瑞々しさに加えて、その後40年の著者の人生そのものが積み重なり発酵したものになっている。

発刊までの限られた情報によると、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(1985)」に繋がる世界観がベースになっていることを知っていたので、本作における二つの図書館、本人と影法師、スピリチュアル展開に、「あぁ いつか見た世界だね」という感慨がまず沸き起こった、それも何度も繰り返し、大きく深く。
古くからの読者として、著者の若さに再会する喜びはひとしおであり、また贅沢なことには著者の老齢化に伴う死生観の微妙な変化に接することができたことも、ある意味著者の集大成を感じ、少しだけ哀しみすら覚えた、読者のかってな思い違いであればいいのだけど。

というわけで、本作の内容を逐一説明するのは村上主義に大きく反するばかりか、今作に際立っているサスペンスとラブストーリ―を楽しむためにもまったくもって益ないことになるので、しない。
ひとつ自信を持って言えることは、物語りが目指す頂が高かったり、掘り起こす溝が深かったりするのにかかわらず文章が優しく丁寧で、あろうことか読み手の理解を確認するかのような繰り返しの描写が多数あるため頁を戻って確認する疲労の心配はない。

この繰り返しのパターンは、「くどい」という負のベクトルにつながるが、老人は繰り返したくなるほどに誰かに伝えたいことをたくさん胸の中にしまい込んでいるのだから、広い心で許してほしい、あの村上さんですら。

原点に戻ったような本作、その中に鈍く光る老いへの想い、村上主義者ならずとも本作を読む価値は高い。
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