愛について語るときに我々の語ること (2016/6/23)

文字数 649文字

2006 年7月10日 初版発行、2015年8月10日 4版発行
著者:レモンド・カーヴァー 訳:村上春樹
中央公論新社



《 アグレッシブな小説作法とミステリアスなタイトリングで、作家カーヴァーの文学的アイデンティティを深く刻印する本書は、八十年代アメリカ文学にカルト的ともいえる影響を及ぼした。転換期の生々しい息づかいを伝える、鮮やかにして大胆な短編集 》

本書には、合計17編の短編が収められている。
素材には夫婦を中心とした家族の日常に潜む倦怠、崩壊の危惧が多いような印象だ。
短編だからではなく、意図的に背景や説明的な文章は皆無で、僕は想像力と緊張感を研ぎ澄まし続けなければいけなかった。
ドラマティックな展開、衝撃的なエンディングがあるわけでもない。
ボ~としていると、なにが起きているのかする読み落としてしまう。
なにより短編の素材そのものに疎外感が強い、カーヴァーは僕を突き放すようにさっさと文章を書き終える。
これをしてミニマリズムの味わい・・という気持ちにもなれない。
ただ、ミステリアスというよりも奇妙なタイトリングには興味津々にならざるを得ない。
例えばだが;
●ミスター・コーヒーとミスター修理屋
●私にはどんな小さなものも見えた
●デニムのあとで
●足元に流れる深い川
●私の父が死んだ三番目の原因
●ある日常的力学
●何もかもが彼にくっついていた
●愛について語るときに我々の語ること
などは、タイトルに触発され自分で短編を綴ってみたくなる。

なるほどカルト的という意味も分かってきたような気がする、ちょっとだけ。
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