国体論 (2018/7/22)

文字数 1,329文字

2018年4月22日 第1刷 発行
著者:白井聡
集英社新書



「永続敗戦論」以来フォローしている白井聡氏の新刊、「国体」のキーワードで近代(戦前と戦後)の日本を鋭く分析する。
著者は本論のきっかけとして2016年8月8日の今上天皇のテレビに発表された「お言葉」に衝撃を受ける。
著者の解釈はというと・・・:

お言葉の解釈は、その内容に政治的意義を読み取ることによって「天皇の政治利用」につながるとの批判を招くことが予想される。
またあるいは、天皇の発言にかかわる次元を読み込むことは「天皇の権威主義的な神格化」につながるという批判も予想される。
自らの展開してきた「お言葉」の解釈が現実政治にあからさまに関係するという意味では政治的であること、また「お言葉」の或る種の霊的権威を認めていることを決して否定はしない。
しかしながら同時に「尊王絶対」や「承詔必謹」を口にする気はさらさらない。なぜなら、かかる解釈をあえて公表する最大の動機は、今上天皇の今回の決断に対する人間としての共感と敬意であるからだ。
その共感とは、政治を超えた、あるいは政治以前の次元のものであり、
天皇の
「私は象徴天皇とはかくあるべきものと考え、実践してきました。皆様にもよく考えてほしいと思います」 
という呼びかけに対して応答することを筆者に促すものである。応答せねばならないと感じたのは、先にも述べた通り「お言葉」を読み上げたあの常のごとく穏やかな姿には、同時に烈しさが滲み出ていたからである。
それは、闘う人間の烈しさだ。
「この人は何かと闘っており、その闘いには義がある」-そう確信した時、不条理と闘うすべての人に対して筆者が懐く敬意から、黙って通り過ぎることはできないと感じた。 
ならば筆者がそこに立ち止まってできることは、その「何か」を能う限り明確に提示する
ことであった。
「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうるということは。その可能性を持つということ、言い換えれば潜在的にそうであるにすぎない。
その潜在性・可能性を現実態に転嫁することができるのは、民衆の力だけである。
民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。

以上が、「国体論」のプロローグであり、同時にエピローグになっている。
戦前の天皇制ファシズムと戦後の永続戦後レジームを段階的に比較分析する本書は、憲法改定論の盲点として日米安保条約(と地位協定)の優位性を述べるなど「永続敗戦論」で見られた現暗愚政権以上のアメリカ従属保守勢力の脅威を糾弾する。
マッカーサー元帥(GHQ)が天皇に任ぜられた征夷大将軍だったという指摘が本書においてより明確になってくる。

最後に、表紙裏のPRコピーを以下に:
【明治維新から現在に至るまで、日本社会の基軸となってきたものは「国体」であるー
象徴天皇制の現代社会で「国体」? それは死語ではないのか? 否「国体」は戦後もこの国を強く規定している。1945年8月大日本帝国は「国体維持」を唯一の条件として敗戦を受け容れた。ただし、その内容は激変した。「戦後の国体」とは天皇制というピラミッドの頂点にアメリカを鎮座させたものなのだ。なぜかくも奇妙な「国体」が生まれたのか。「戦後の国体」は我々をどこに導くのか。】
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み