マッカーサーの2000日 (2015/8/13)

文字数 889文字

1976年10月10日初版、2015年7月25日改版
著者: 袖井林二郎
中央公論新社



39年前の名著が、終戦70年の今年改版された。
太平洋戦争の敗北から70年間の復興の礎を築いたマッカーサーGHQ総司令官が
厚木基地に降り立ち、朝鮮戦争のさなかトルーマン大統領から解任されて日本を離れるまでの2000日を今一度振り返り検証することは、
今現在の日本のそこにある危機を考えるうえで必須であると考える。

良くも悪くも、戦後占領期間の連合軍(米軍)の統治の真髄を考察するには、
マッカーサー元帥の為人(ひととなり)を承知することが肝要である。
マッカーサーの父親がフィリピン軍事総督であり、後年本人もマニラにおいて極東軍最高司令官の地位につくほど、アメリカ軍きってのアジア通としての自負があった。

1945年、彼は絶対無比の権力を有して日本占領に着手する。
早々に天皇の戦争責任を棚上げ、代わりに天皇から征夷大将軍(または日本の大君)の地位を約束させる。
日本国民には平和をもたらす「解放者」として、一方ではドラスティックな社会構造変革者としての闘う姿勢を隠そうとはしなかった。
日本の軍国主義を一掃し平和主義を憲法に盛り込んだ理想主義は、
彼の勝利への完璧な姿勢を物語るものだった。
5年以上の平和な司令官暮らしの中でくすぶり続けていた戦いへの情熱が、
朝鮮戦争により再点火されたのは皮肉ではなく本人の宿命だった。

いつの時代においても、地勢的緊張感を創出してアメリカの存在感を増しライバル国家の勢力をそいでいくアメリカ帝国の方法は変わらない。
このマッカーサーの2000日に始まる70年間、日本は常にそのアメリカの駒として動かされてきた。
ソ連、北朝鮮、中国、の脅威というゲームの中でアメリカの安全保障維持のピースとして機能させられてきた。

そして今また、米軍の占領が継続したまま更なる犠牲を強要させられている。
アメリカの要求に沿うことが愛国だという欺瞞も近年の傾向になっている。
ここはやはり、歴史を、たった100年弱でいいから、歴史を学び直すことがたいせつだ。
つまびらかではない・・・などとは言ってる場合ではない。
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