MISSING 失われているもの (2020/4/22)

文字数 974文字

2020年3月20日 発行
著者 村上龍
新潮社



僕は村上主義者、ただし春樹のほうの村上主義者というわけなので、龍作品は「半島を出よ(2005年)」以来のお久ぶりだった。
聞くところによると村上龍長編小説自体も5年ぶりとのこともあって期待は高まっていた。
十章に渡る著者自身の叫びのような言葉と文章が、まったく衰えを知らぬがごときに波状的に僕に襲い掛かる。
これは小説ではなかった。村上龍の自我形成の形をとった両親への怨念の突出だった。
最初は(本書の帯宣伝コピーにあるように)女優真理子という媒介で自らの精神の揺らぎを投影させ、なかなかファンタスティックな展開になる。
いま経験している世界は果たして現実なのか、心が描く悪夢なのか、
それとも深層にある心の叫びなのか?
どんな形で展開されてどこに落ち着くのかという興味と、
村上龍ならではの時代を超えた表現スタイルで僕は魅了される。
繰り返しになるが、これは間違いなく小説ではない、
村上龍の本音に違いないとおもえる超日常の経験に付き合うことになる。
そんな著者の赤裸々な物語を知り得る特権に酔い始めてところで、テーマは父母、いや母親との会話(非現実的な)に移っていく。
著者がいかにして、小説家になり、若くして芥川賞を取り時代の寵児になったかの原点へのトリップに移行していく。

ここに至って僕にも著者の気持ちがすんなりと理解できるようになる。
著者は今68歳、この年代は自分の人生の後始末に目覚める。
自分が今(還暦過ぎ)になるまで生きてきた、それもしっかりと生きてきた証明を試みる。
手っ取り早いのは、両親と自分の関係を(できれば)客観的に見つめ直し、人生の意義のなかに組み入れたいと願う。
実際に僕もそう思ったこの2年間だった。

執拗だけど、本作は小説ではない。
村上龍の懺悔であり自賛の物語だ。

十章のタイトルに、古い小説(映画)のタイトルが冠されている、「浮雲」、「東京物語」、「乱れる」、「放浪記」、「ブルー」などなど。
最初は映画愛好家として気になってしまったが、このタイトルには大した意味がないことに途中で気付く。思わせぶりな構成になっているのはこのタイトルばかりではないが、本書はあくまでも超プライベートな書き物でしかない。
無論それすらもが立派に文学としての体裁と威厳を保っているというところがちょと悔しい気もしないではない。
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