言論抑圧 矢内原事件の構図 (2015/1/15)

文字数 1,202文字

2014年9月25日発行
著者:将基面貴巳



時節柄(特定秘密保護法の実行)興味深いタイトルのはずだ。
帯の宣伝コピーが嘘偽りのないところだったので下記にそのままご紹介する:

『1937年、東京帝国大学教授の矢内原忠雄は、論文「国家の理想」が引き金となり、職を辞した。日中戦争勃発直後に起きたこの矢内原事件は、言論や思想が弾圧された時代の一コマとして名高い。本書は、出版界の状況や大学の内部抗争、政治の圧力といった複雑な構図をマイクロヒストリーの手法で読み解き、その実態を抉り出す。そこからは愛国心や学問の自由など、現代に通じる思想的な課題が浮かび上がる。』

矢内原事件といってもほとんどの人が教科書で数行の記述で覚えている程度だろう。
(もっとも最近の教科書で確認したわけではないけれど)
僕の認識でも軍部と大学内の右翼勢力によって失脚した・・・ぐらいのことでしかなかった。
著者、将棋面さんが本作執筆にあたって採用したという「マイクロヒストリー」手法は
事件に関連すると推定した出来事を多面的に洗い出して考察する。
僕が理解したところによれば、
矢内原教授はキリスト教理念から「平和と正義」を国家の基盤に据えたが、
天皇主権の国体論がその地盤を固め、中国との戦争に突入した時点では、
反戦主張は政治権力によって排除されることになった。
ここに「愛国心」の問題が浮上してくる。
国家存亡の危機に今更己が理想を唱えるのは愛国心がないとするか、
国家のあるべき理想とかけ離れた現状を批判することこそ「愛国心」だとするのか?

信仰心でもなければ、時の権力に歯向かってまで自分の愛国心を
主張することはできないだろう。
多くの良心ある、知識ある日本人がその時「矢内原事件」をもってして
言論の自由をあきらめたのも理解できる。

一方、「学問の自由」、「大学の自治」に関しては1937年当時は
矢内原教授自身を含めて学者には確固たる自覚がなかった。
国家の政策に反する研究が将来の国家に利するものになるかもしれない
という発想はなかったようだ。

そして、現在の状況から「矢内原事件」の教訓を想定してみる:
言論の自由を奪われた時には、
そもそも「言論の自由が奪われた」という発信すらできない、
あるいはその人間は表舞台から消え去る。
新聞、雑誌、テレビを通じて統制された言論のみが世の中に流れるわけである
・・・まさに無知は全能なり。
では、SNSはじめとしたネットでの発信は有効ではないのか?
匿名性の強い現在のネット環境をどこかで大掃除しない限り、今のようなネット情報は信頼することはできない。
まぁ、脅威になるまでとは言わないが、カオスの中で「言論の自由」はゴミの山にうずもれてしまうだろう。
つまり、一般庶民には言論抑制がいつ、どのように、だれがだれに、仕組んだかが不明になる。

本作のような名著が今の時期に発刊されることは意義深い。
いつの日にか絶版になっていないことを信じて。
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