誰がなっても同じの本質

文字数 550文字

 俺も総理大臣や議員は誰がなっても変わらないと思っている。
 それは、おかしいヤツしか立候補しないからであって、年齢や性別は関係ないと感じている。

 選挙にはそれなりの金がかかる。
 どちらかというと、貧乏で苦労した人の方がまともであるというイメージ。もちろん貧困過ぎて生きるのに必死となれば、そうもいかないかもしれないが。
 ”弱い人は、弱い人の気持ちが分かる”
 まさにそれ。金持ちに無駄な税収されているとしか思えないという国民の気持ちは分からないだろう。

 何が必要なのか? 
 それはまともな精神を育てる教育。
 そして自分自身を大切にする。相手の身体は相手のものだと教える性教育が必要。
 それは学校に委ねてはいけない。
 親がやるべきこと。
 それは子を産む者の義務として制定すべき。

 はっきりいって、教育現場に何を求めても無駄だと思う。
 過剰業務に追われる彼らに国も、家庭も求めすぎている。

 少子化の加速。
 自殺者の激増。
 どんどん若者から未来を奪う、政治家。
 日本は終わっている。

 露国に未来はないと若者は言っているが、日本も同様。
 もう若者に政治を託す世の中であるべき。
 時代遅れの奴らは年齢に関係なく老害でしかない。
 時代についていける人間が国を、国民の希望となりになっていかなければならないと思う。 
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