素質だけでは何も成せない

文字数 1,176文字

 昨日ね。
 この家には古い謎の四角い箱があるんだけれど……。
 エアコンなのか、空気清浄機なのか、換気扇なのか謎の箱。
 それは、外に通気口のようなものがあり色んな生き物が入ろうとする。

 昨日はそこに鳥が必死に入ろうとしていて煩かった。
「ばたばたばたばたばた」
 羽がぶつかる音。
 仕方ないから紐を引っ張ってみた。
 外に強い風が出るらしく、鳥は下へ押し出される。
 なんだろうね? この箱。

 さてと、人には誰しも素質というものがある。
 俺は学生の時、ある作家のエッセイに憧れエッセイストになりたい! と思った時期があった。
 何回かここでも言っているが。

 エッセイと小説って必要なもの自体は同じなのだけれど、優先順位が違うんですよね。
 俺は当時、エッセイストになるには『経験』が必要だと思っていた。
 でもね、経験だけでは書くことがないのよ。
 学生とはやはり社会人に比べて経験も知識も劣る。
 どんなにいろんなことを学んでインプットしたとしても、それを生かさないと身につかないし、そこからさらに何かを学ぶことはできないの。

 バイト経験のない人は、バイトに対して想像の域を越えない。
 いろんな人の体験を見て学んでも、発想には繋がらないの。
 知識を手に入れて体験した時、初めて人は新しい領域に行けるのね。

 それは……例えば、トイレットペーパー。
 みんなトイレで使うよね?
 トイレットペーパーを使ったことのない人は、どんなものかわからない。
 また知識として手に入れたとしても、使ってみなければどんなものが良いのか分からない。
 そしてより良いものを作り出す案が浮かぶこともないの。

 小説も同じ。
 狭い世界で生きていても、同じような話しか書くことはできない。
 それは経験や知識によってのみ視野を広げることができ、下手なものを読んだ時に初めて『改善策』に辿り着き、自分のスキルをあげることが可能となる。

 上手いものを見ても真似はできない。
 下手なものを見て、同じことをしないようにしようとすることは可能。
 つまり『他人のふり見て我がふり直せ』を繰り返しているうちに上達するということ。
 みんな勘違いしていると思う。
 たくさん何かを読んでも、そこから何も学ばなければ、自分の糧にはならない。
 つまり時間の無駄。

 エッセイや小説に必要なのは知識や経験、想像力など。
 その中で小説に一番必要なのは想像力なのね。
 自分の想像を形にするために知識や経験、表現力が必要。

 しかしエッセイに大切なのは、思想なの。
 経験や知識、表現力だけではなにも書くことはできない。思想があるから、経験や知識を生かし、それを伝えるために表現力を必要とする。

 エッセイにバリエーションがある人は『思想』をしっかりと持っている人。
 書く素質だけでは何も書けないということ。
 素質とは開花させてこそ、武器となる。
 
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