自由の尊重とは他人の思想に不可侵であるということ

文字数 1,187文字

 一つ、世の中が生き辛いのは『バカ』しかいないため。
 一つ、自由と人権の尊重をはき違えている奴は多い。
 一つ、表現の自由、言論の自由とは何かを理解していない奴も多い。

 どんなに表現が自由であろうが他人が不快に思うモノを公共の場に置くのは『自由』とは言わない。人は『自分の責任において自由』ではあるが『良識常識』をわきまえないのは『ただの迷惑行為』であり、誰も他人の思想において侵略するようなことがあってはならない。

 他国には『宗教』という基盤と教えがある。
 それは人が人らしくあるための思想ではあるが、作られたのは『多様性』を認めていない時代。そんなものが今の世の中に通用するわけがない。
 なので自由と古き教えは共存不可だと感じる。
 
 人の身体は自分のもの。
 そして他人は欲望により他人を攻撃する生き物。
 その攻撃性は『性欲』の中にある。つまり『性愛者』である限り『攻撃性』を秘めており、それは必ずしも『攻撃的な言動』とはならない。

 例えば『承認欲求を満たすため』に『他者に作品』を押し付ける行為。
 これも『攻撃の一つ』である。なぜならば他人とは何にも犯されない生き物。あなたが自分の欲望を満たすために、他者に何かを押し付けることは『他人の時間』を奪う行為だからである。
 人は自分の意思によって、自分の時間の使い方を選ぶことが出来る。
 時間は命と同等であり、その命の使い方は自分が決める。
 誰にも犯すことのできない、その人のだけのもの。
 
 ただし人は他人と共存して生きていかなければならず、その社会を理解する必要がある。そのため、一定期間の教育の場が設けられており『ある集団生活』を通して『良識常識』を学んでいく。そこにはコミュニケーション能力の向上も含まれる。
 
 その狭き集団生活の中で『ロクな奴ではない』と感じる人物は多数存在する。いじめなどを行う奴は精神や家庭に問題を抱えていると言わざるを得ない。
 人権の尊重をガキどもに叩き込まない限り、日本はよくはならないだろう。
 
 空気を読めない、自己中、それがガキというもの。
 俺は子供は簡単に他者を傷つける『理性のない』動物だと思っている。
 空気を読める子供は多方面でその頃から活躍する可能性を秘めている。
 子役などはそれが顕著に表れているだろう。
 分かれ道はそこにある。空気を読める子供であれば大物になる可能性は大。
 空気を読めない子供なら将来クソになる可能性もある。政治家のようにね。

 思想とは個人のもの。
 話すことで共有はできるかもしれないが、同調する必要もなければ反論する意味もない。
 相手の思想を否定したところで、自己満足でしかないから。
 そんな無駄なことをするくらいなら、エッセイでも書くべき。
 相手に告げることは争いしか生まないが、自己の思想を語ることはPVを産むだろう。
 
 そんなわけで、はぶあないすでい。
 
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