出来ないという思い込みは自分の能力を阻害する
文字数 2,287文字
やる前からできないと思うなということを言う人は多いが、できないと思うことそのものが自分の能力を阻害していると思う。
その中にはいろんなものが存在していて、そのほとんどを作ったのは人間である。
人間が作ったものは人間にはできる。これ、当たり前。
人は年齢を言い訳にしがちだが、売る観点などから考えると『より多くの人に購入されたら儲かる』というのが土台にある。だから道具は『誰でも使える』ようにできているし、その工夫凝らされているはずだ。
特に、日本においてはね。
年齢を言い訳にする人は自分に甘いだけ。やる気がないだけなんだよね。
子供の頃に理解できなかったことを、人生経験を積んですんなり理解できたということはあるだろう。
人は日々成長しているのだ。
そして、出来ないとやらないは別物であるということ。
大人になったら、よっぽどのことがない限り通路では走らないと思う。それは走れないのではなく、『走ったら危ない』とうことを理解しているからしないのだ。
無謀に危険に突っ込むことは『チャレンジ精神』ではない。アホと言う。
例えば60になってから語学を学ぶ。年だから覚えられないと自分にセーブをかけることが良くないということ。人生経験を積めば、学生の頃とは違お覚え方をするものである。
俺も学生の頃、バイトをしていた時は教わったことをメモに取ろと思っていた時期があった。
しかし引っ越して学んだことは『メモは取らない方が覚える』と言うこと。メモを取りたければ後から取るべき。そこで自分が何を覚えられていないのか理解できる。
学生は何故、勉強ができない人がでるのか?
それはノートに取ることに必死で話を聞く暇がないから。
ノートを取らせるのやめ、授業を聞くだけにしたら覚えられる人はたくさんいるはずだ。
ノートに取らねばならないところは全てプリントにして配り、授業を聞くだけにすれば成績の上がる人は続出するだろう。
要はやり方が間違っているから能力が伸びないのだ。
やってできなければ、なんでできないのか考えればいい。
自分に何が向いていなくてそれが出来ないのか? どんな要因があってそれが出来ないのか?
そこに打開策はある。
例えば職場まで早く行きたいが歩きだと30分かかる。
人はそこで走るなり、自転車に乗るなり、タクシーを使うなりするはず。
そういうことなんだよね。方法はいくらでもある。
大人になれば選択肢は増えるんだよ。だから年齢のせいにしたりできないと決めつけることは自分の能力を阻害するだけ。
そんな俺は最近音ゲーをやっていて、初めはレベル3くらいまでしか追いつかなかった。
最大レベルは9でハードモードは更に難しくなっている。
けれども毎日遊んでいるうちについていけるようになるし、パッと理解できるようになるんだよ。
不思議だけれどね。
これはキーボードと同じだと思う。毎日使っていたら別に意識しなくても手元を見ないで打てるようになるし、速くなる。場所を覚える必要なんてない。勝手に覚えるんだよ、身体が。
料理だってそうでしょう?
基礎さえちゃんと覚えたら、料理の本なんて見なくてもこんな味になると想像がつくし、味見をしなくても美味しいものが作れるようになる。
(実は料理をするのに味見をしたことがないw)
初めはできないかもしれない。けれども一日5でも10分でもやっていればだんだん身体が覚えていくんだよね。最近、あるユーチューバーさんの動画を視ていてなんとなくだけれど、英語が聞き取れるようになってきた。もともと洋楽ばかり聴いていたから聴いたことある言語というのはある程度はあるんだけれどね。
書けて聞き取れて意味が分かる。
これが一番いいのかもしれない。でもよく考えてみて?
俺たちは日本人で、一応日本語の文法も書き方も覚える。学校で教わるけれど、社会に出て必要なのは会話力なんだよね。職場によっては理解力(聞き取り)さえできれば問題ないところもある。
つまり、それを職として活かす必要がなければ聞き取れて大体の意味が分かればいいのよ。
例えば上司にこう言われたとする。
『Please put this document on my desk.』
意味は”この書類を私の机の上に置いてください”
これ、なんて言ってる? ってなるかもしれないけれど、実際は上司が書類を差し出しながら言うはずなんだよね。ジェスチャーで置くの仕草もするかもしれない。
すると、どこに置くのか? そこだけ理解できればいいということ。
なので『プリーズ』でお願いっていってるのだから、どこに? だけ聞き取れたらいい。
日本語もそうでしょう?
全部の言葉を聞き取っているわけじゃないと思うのよ。
会話をしている時を思い出してみて。
『トム、お金を渡すからコンビニでアイスを二つ買ってきて』
と母に頼まれる。
きっと注視しているのは『コンビニ、アイス2こ』ここだけなはず。
母はお金を差し出しながらお使いを頼んでいるわけだから。
コンビニに行けということは『お使いイコール買う』これが理解というもの。
日本語には『はにをが』があるけれど、これの使い方を理解しなくても日本語は通じる。
『コンビニ行ってくる』
日常会話には”はにをが”は要らないから。
たぶん日本人にとって英語が難しいのは、日本人にとって大切なのは『助詞』ではなく『ニュアンス』だからだと思うのよ。
『雨”が”降っている』よりも『しとしと降っている』なのか『ザーザー降っている』なのかを表現することを重視する民族だから。
その中にはいろんなものが存在していて、そのほとんどを作ったのは人間である。
人間が作ったものは人間にはできる。これ、当たり前。
人は年齢を言い訳にしがちだが、売る観点などから考えると『より多くの人に購入されたら儲かる』というのが土台にある。だから道具は『誰でも使える』ようにできているし、その工夫凝らされているはずだ。
特に、日本においてはね。
年齢を言い訳にする人は自分に甘いだけ。やる気がないだけなんだよね。
子供の頃に理解できなかったことを、人生経験を積んですんなり理解できたということはあるだろう。
人は日々成長しているのだ。
そして、出来ないとやらないは別物であるということ。
大人になったら、よっぽどのことがない限り通路では走らないと思う。それは走れないのではなく、『走ったら危ない』とうことを理解しているからしないのだ。
無謀に危険に突っ込むことは『チャレンジ精神』ではない。アホと言う。
例えば60になってから語学を学ぶ。年だから覚えられないと自分にセーブをかけることが良くないということ。人生経験を積めば、学生の頃とは違お覚え方をするものである。
俺も学生の頃、バイトをしていた時は教わったことをメモに取ろと思っていた時期があった。
しかし引っ越して学んだことは『メモは取らない方が覚える』と言うこと。メモを取りたければ後から取るべき。そこで自分が何を覚えられていないのか理解できる。
学生は何故、勉強ができない人がでるのか?
それはノートに取ることに必死で話を聞く暇がないから。
ノートを取らせるのやめ、授業を聞くだけにしたら覚えられる人はたくさんいるはずだ。
ノートに取らねばならないところは全てプリントにして配り、授業を聞くだけにすれば成績の上がる人は続出するだろう。
要はやり方が間違っているから能力が伸びないのだ。
やってできなければ、なんでできないのか考えればいい。
自分に何が向いていなくてそれが出来ないのか? どんな要因があってそれが出来ないのか?
そこに打開策はある。
例えば職場まで早く行きたいが歩きだと30分かかる。
人はそこで走るなり、自転車に乗るなり、タクシーを使うなりするはず。
そういうことなんだよね。方法はいくらでもある。
大人になれば選択肢は増えるんだよ。だから年齢のせいにしたりできないと決めつけることは自分の能力を阻害するだけ。
そんな俺は最近音ゲーをやっていて、初めはレベル3くらいまでしか追いつかなかった。
最大レベルは9でハードモードは更に難しくなっている。
けれども毎日遊んでいるうちについていけるようになるし、パッと理解できるようになるんだよ。
不思議だけれどね。
これはキーボードと同じだと思う。毎日使っていたら別に意識しなくても手元を見ないで打てるようになるし、速くなる。場所を覚える必要なんてない。勝手に覚えるんだよ、身体が。
料理だってそうでしょう?
基礎さえちゃんと覚えたら、料理の本なんて見なくてもこんな味になると想像がつくし、味見をしなくても美味しいものが作れるようになる。
(実は料理をするのに味見をしたことがないw)
初めはできないかもしれない。けれども一日5でも10分でもやっていればだんだん身体が覚えていくんだよね。最近、あるユーチューバーさんの動画を視ていてなんとなくだけれど、英語が聞き取れるようになってきた。もともと洋楽ばかり聴いていたから聴いたことある言語というのはある程度はあるんだけれどね。
書けて聞き取れて意味が分かる。
これが一番いいのかもしれない。でもよく考えてみて?
俺たちは日本人で、一応日本語の文法も書き方も覚える。学校で教わるけれど、社会に出て必要なのは会話力なんだよね。職場によっては理解力(聞き取り)さえできれば問題ないところもある。
つまり、それを職として活かす必要がなければ聞き取れて大体の意味が分かればいいのよ。
例えば上司にこう言われたとする。
『Please put this document on my desk.』
意味は”この書類を私の机の上に置いてください”
これ、なんて言ってる? ってなるかもしれないけれど、実際は上司が書類を差し出しながら言うはずなんだよね。ジェスチャーで置くの仕草もするかもしれない。
すると、どこに置くのか? そこだけ理解できればいいということ。
なので『プリーズ』でお願いっていってるのだから、どこに? だけ聞き取れたらいい。
日本語もそうでしょう?
全部の言葉を聞き取っているわけじゃないと思うのよ。
会話をしている時を思い出してみて。
『トム、お金を渡すからコンビニでアイスを二つ買ってきて』
と母に頼まれる。
きっと注視しているのは『コンビニ、アイス2こ』ここだけなはず。
母はお金を差し出しながらお使いを頼んでいるわけだから。
コンビニに行けということは『お使いイコール買う』これが理解というもの。
日本語には『はにをが』があるけれど、これの使い方を理解しなくても日本語は通じる。
『コンビニ行ってくる』
日常会話には”はにをが”は要らないから。
たぶん日本人にとって英語が難しいのは、日本人にとって大切なのは『助詞』ではなく『ニュアンス』だからだと思うのよ。
『雨”が”降っている』よりも『しとしと降っている』なのか『ザーザー降っている』なのかを表現することを重視する民族だから。
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