愛は自由だが押し付けは否定

文字数 804文字

 あるエッセイを見てずっと感じていることがある。それは調査に基づく同性愛否定と受け取っているのだが。

 同性愛者に育てられた子供は傷ついているという内容なのだが、その本質を考えると同性愛者の親に育てられたからではないと思った。

 問題点は「同性愛者の親が異性愛者の子供に同性愛の正しさを押し付けている点」にある。
 問題はそこ。
 その親が同性愛者で元夫と合わず嫌悪するのは、その親の問題。自分が同性愛者だからといって子供も同性愛者とは限らない。
 父親に会いたかったのにその機会を奪ったことは問題だが、だからといって同性愛者が異性と一緒に結婚生活を続けても子供が幸せになれたとは考え辛い。
 子供に自由な選択をさせるべきだったのであって、一概に一緒に生活するのが良いのは男女カップルとは言えないと思う。
 その発言は片親しかいない子供は不幸と言っているのと同等であり、偏見でしかない。

 じゃあ逆に親が異性愛者で両親健在であり、子供が同性愛者の場合。理解されずに同性愛を否定されても幸せになれるのか?
 なれるわけないんだよね。

 だから結局は、両方の性のもとに育てられるべきというのは押し付けなのよ。
 異性愛者を嫌悪しているのは、そういうとこなの。本質を理解していない。
 どんな愛であっても否定されるべきではない。否定するから、自分を偽らなければならなくなる。そうでしょ?
 その母親の問題は、否定された嫌悪から子供に選択の余地を与えず支配しようとしたことにある。
 性別も関係なければ異性愛か同性愛かも関係ない。
 仮に異性愛者だったとしても、その夫とは合わなかったとも考えられる。ではそこで、新しい父親がいて幸せになれる保証はある?
 そして、もとの父親がいて幸せになれる保証はあるのか?
 誰にもそんな保証はできない。
 自分が不幸なのは父親がいなかったからではなく、母親に価値観を押し付けられたことにある。勘違いすべきじゃない。
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