衝撃が走った裏側で、自然災害が

文字数 1,307文字

 報道の偏りに改めて気づいた朝。
 俺はTVを観ないので、ツイートで知った。
 避難指示の出た地域は大丈夫だったのだろうか?

 いろいろと思うことがある。
 この世は狂っている。
 しかしそれは世の中全体の責任でもある。

 便利な世の中を望んだ人類は、果たしてこんな世の中を望んだのだろうか?

 便利になることで得られるのは正確性と時間。
 その得られた時間は有意義に過ごすために充てられるはずだった。
 だが、現実はどうだ?
 罵り合い、現実を受け止めようとしない。
 誰かのせいじゃないんだよ。
 全員のせいなんだよ。
 誰に責任があるかが問題じゃない。

 戦争も今回の事件も、人間が思いやりを失った結果。
 法を変えたり増やしたりしても、なにも変わらないんだよ。
 人間自身が、意識を変えないと。
 法の手がなくても、自分たちで解決し支え合っていける社会、世界にしていかないといけないんだ。
 それなのに、人は罵り合ってばかり。
 そんなことをしたこところで意味なんてない。
 何も解決はしないんだよ。
 いつから、日本はそんな風になってしまったのだろう?
 世界はこんな風になってしまったの?

 人間には良いところも悪いこともある。
 しかしメディアは嬉々として人の粗を探し、それをスキャンダルとしてお金にする職業。
 元はそうじゃなかったはず。
 でもメディアが腐っていることなんて、みんな知っていたはず。
 
 子供の頃、人間は利己主義で他人に対して思いやりのない生き物だから、滅べばいいと思った。
 滅ぶということがどういうことなのか、感染症と戦争を見て理解した。
 そんなことは願ってはいけないのだと思った。

 法改正に反対し、自民党が崩壊すればいいと思った。
 けれど、こんなことは望んでない。
 人は対話でのみ解決が出来る。
 暴力では何も解決はしない。

 ずっと違和感を抱いていたことがある。
 死にたいという人に生きろというのは違うと思った。
 別に好きにしたらといえば良いという意味ではない。
 ”生きろ”というのは無責任な言葉であると思う。そうではなく、何に苦しんでいるのか理解してあげるべきなんじゃないだろうか? 話を聞いてあげるべき。
 言えないから苦しんでいるというのは理解できる。

 俺はLGBTQに含まれていることを周りの人に話すことはできない。
 その苦しみは誰にも理解されないと思っている。
 特に、パンセクシャルは理解されないものだと思っている。
 全性愛者でありながら、異性愛者も同性愛者もバイセクシャルも恋愛対象にはなりえない。
 それはアセクシャル(性愛を持たない)であるから。
 性愛を向けられた瞬間に恐怖しか感じなくなる。だから簡単にお付き合いはできないし、慎重にもなる。俺は誰かを愛したいと願いながら、誰も愛すことが出来ない。それに苦悩していても、単に死にたいと思っていないに過ぎない。自由という救いがあるから。

 人を頼らないと生きていけないにもかかわらず、信じられる人間がいないという人は多いと思う。
 どうしてこうなった?
 いや、人は元々こうだった。信じられないものから自分を守るために段々と孤独になっていったに過ぎない。都会なら都会であるほど。
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