現代の恋愛物語の方向性

文字数 1,659文字

 pixivで漫画を読んでいてふと思ったこと。
 恋愛物語にはその時々で流行っている方個性というのがある。
 舞台に関しては三種あるものだが、恋愛の場合は大きく分けて現代を主体としたもの(時代物なども含む)とファンタジー(架空を舞台にしたもの)に分かれる。
 通常は現代、SFを含む時代物系、ファンタジー(異世界ものを含む)という舞台がある。
 ファンタジーという分野はそれこそ、その人の思い描いた世界に対してのリアリティを持たせるものなので多種多様。それに対し現代ものというのは現代に対してのリアリティというものが現れてくる分野。
 意図しなくても現れてくるんだよね。まあ、雑誌社が選び周りが感化されて流行っていくという流れであるともいえるけれど。

 だとしても共感というのは、多くの人が感じている方向にあるわけなので『現実的、あるある』として現れるものなのだ。

 さて何言ってんだかわからなくなってきたけれど、現代人は恋愛しなくなってきている。
 恋愛の自由から一歩進み、恋愛はしてもしなくても自由という世の中になっていると思う。
 
 若者はお金がないからというが、小中学生のころを思い出して欲しい。
 お金がある無し関係なく、恋愛する人はするんだよね。
 恋愛とは同じ時間を共有するということであって、どっかにいかなければ成り立たないならその先も恋愛をするに至らないと思う。
 つまりお金云々以前に、好きになれる人がいないという現実がある。
 なんでこうなったのかっていったら、男女格差もなくならないのに意識のみ男女平等にしていった結果だと思う。
 女性の方が賃金が少ないにも関わらず、男が割り勘にしようと言った場合金銭的負担がでかいだけ。
 だったらデートなんかしなくていいと思うだろう。精神的負担がでかいのも当然女性なわけだし。

 女性の持つ恋愛感情と男の持つ恋愛感情は絶対にイコールにはならない。
 男のゴールは恐らく一緒に居ることではなく性的な関わり。
 それは恋愛感情とは言わないと思う。だが、それが現実。

 特に日本人の男には、愛情というものは存在しないのではないかとすら思う。
 海外のものばかり視ていると余計にそう感じる。
 そもそも男という生き物には、一緒にいて苦痛しか感じないしね。
 空気が読めない人が多いのがその理由の一つ。

 相変わらず話が逸れたが、恋愛をしない世の中で共感を得られる恋愛の方向性と言えば何かというと『推し文化』なんだよね。
 推していた相手と恋愛関係になるというもの。
 これ確かに面白いは面白い。ものによるけれど。
 
 恋愛ものというと恋愛感情全開で嫉妬により虐められたりなんてこともあって、明るいラブコメだったりどろどろしたシリアスなものだったりするわけだけれど。
 この推し系ってのは『大ファンで好きなんだけれど、恋愛対象にはなりたくない、恐れ多い』という感情が土台にある。だからそんなにドロドロしているわけでもない。
 男側は恋愛感情を抱くんだけれど土台が違うからすれ違ったり、かみ合わなかったりして笑ってしまう。でも、好きに対しての在り方が違うんだろうなって思う。

 これが指し示しているものは何かというと、その推しは『芸能人からユーチューバー』という幅があって、造っているとは限らない(演出)ということ。
 モニターの向こう居る人やライブなどで観る人たちは、確かに身近な一般人ではないかもしれない。でも、一般人な場合が多くある。それは『素』での素敵さなんじゃないかと思うのよ。
 現実的というかね。

 売れるために作られた『非現実的な』人間ではなく、特技を生かした中での『本物』が求められるのが今の世の中なのではないかと思うわけ。
 だから『イケメンキラキラちょっと雲の上の人との恋愛(カースト)』よりも、『推し/リスペクト』の方が本来の意味での憧れに近いのかもねと思った。だから多くの人の共感を得られる。
 上手くまとまらなかったけれど、現代恋愛ものというのは現実の形を繫栄しているということ。
 当たり前のことだけれどね。
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