任意マルチは無自覚マルチには勝てない
文字数 913文字
小学生に導入されたプログラミングの話しを見て感じたこと。
昔から、科学が進歩し機械化が進んだら人の仕事は奪われると言われてきたが、俺はそうは思わない。
例えば工場で、今まで1台の機械に対し4人の人間が必要だったとする。
機械が有能になり、1台に対し1人しか必要なくなった。
この時、じゃあ3人は首を切られるのか?
切る会社は成長が見込めない。むしろやめた方が無難。そのうち倒産するだろう。
俺が社長なら、3台増やして1人1台を割り合てる。
これで生産は当初の4倍になり、1個の販売価格を下げることにより儲けを得るほうが会社は成長する。
だから工場は人手が足りないということ。
つまり昔よりも1台に対しての人数が減った。余った人手は違う機械に割りあてられる。
右肩あがりの会社はちゃんと利益を出している。
例えば、機械化が進み全自動になったとする。
そんなことはあり得ないが。
不良の確認のために1台を1人で見るのと4台を一人で見るのはどちらが効率が良いだろうか? 全てを自分でやった場合、2台1度に壊れると、1人で見ることは非常に効率が悪い。
そして1人でプログラミングから生産までやる場合。
これも非常に効率が悪い。
10台の機械を1人づつが全て行う。
10台の機械に作業者がそれぞれついて1人がプログラミングと修理を担当する場合。
後者の方が効率は良い。
マルチというのには向き不向きがあってマルチタスクになると顕著。
何でもできる人間は、一つのことに特化している人間よりもはるかに少ない。
俺の場合、小説を書いて表紙を書いて宣伝用画像を作り、拡散御礼画像も作っているがそれが創作界全員にできますか? ということ。
仮に出来たとして、1日仕事もしながら7作更新できますか?
できるなら、仕事の奪われる未来は存在するかもしれないが、ほとんどの人間は無自覚マルチタスクではない。家事に関しては無自覚マルチは多い。だが仕事は違う。
任意マルチタスクは能力は劣る。
むしろマルチタスクを押し付けられる工場はない。
やらせて! といってもダメ! と言われることはあっても。
理由:無自覚マルチが休むと、それを補える人がいないから。
昔から、科学が進歩し機械化が進んだら人の仕事は奪われると言われてきたが、俺はそうは思わない。
例えば工場で、今まで1台の機械に対し4人の人間が必要だったとする。
機械が有能になり、1台に対し1人しか必要なくなった。
この時、じゃあ3人は首を切られるのか?
切る会社は成長が見込めない。むしろやめた方が無難。そのうち倒産するだろう。
俺が社長なら、3台増やして1人1台を割り合てる。
これで生産は当初の4倍になり、1個の販売価格を下げることにより儲けを得るほうが会社は成長する。
だから工場は人手が足りないということ。
つまり昔よりも1台に対しての人数が減った。余った人手は違う機械に割りあてられる。
右肩あがりの会社はちゃんと利益を出している。
例えば、機械化が進み全自動になったとする。
そんなことはあり得ないが。
不良の確認のために1台を1人で見るのと4台を一人で見るのはどちらが効率が良いだろうか? 全てを自分でやった場合、2台1度に壊れると、1人で見ることは非常に効率が悪い。
そして1人でプログラミングから生産までやる場合。
これも非常に効率が悪い。
10台の機械を1人づつが全て行う。
10台の機械に作業者がそれぞれついて1人がプログラミングと修理を担当する場合。
後者の方が効率は良い。
マルチというのには向き不向きがあってマルチタスクになると顕著。
何でもできる人間は、一つのことに特化している人間よりもはるかに少ない。
俺の場合、小説を書いて表紙を書いて宣伝用画像を作り、拡散御礼画像も作っているがそれが創作界全員にできますか? ということ。
仮に出来たとして、1日仕事もしながら7作更新できますか?
できるなら、仕事の奪われる未来は存在するかもしれないが、ほとんどの人間は無自覚マルチタスクではない。家事に関しては無自覚マルチは多い。だが仕事は違う。
任意マルチタスクは能力は劣る。
むしろマルチタスクを押し付けられる工場はない。
やらせて! といってもダメ! と言われることはあっても。
理由:無自覚マルチが休むと、それを補える人がいないから。
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