人を判断する材料とはなんだろうか

文字数 819文字

 毎日同じ人と接していると『感覚的』にこの人はこうだなと感じることはないだろうか?
 俺は以前、同僚との会話の中で
『俺は意外と几帳面なんだ』
と言ったら、
『意外ではない』
と返されたことがあった。

 例えば見た目からのイメージというのは、あまりあてにならない。
 ただし、見えるものから内側が見えることはあるだろう。
 靴ひもの結び方や靴を変える頻度など。

 俺が社会に出て一番感じたことは『めんどくさがり屋ほど合理的である』ということ。
 面倒だからやらないというのは単なる怠慢であってめんどくさがりとは違うと思う。
 メンドクサイと言うのは過程ではなく、結果論だからだと思うからだ。

 合理主義でそつなく仕事が出来てスマート。
 こういう人と言うのは『結果的に面倒になる』のを避けている人に多いと思う。
 例えば、仕事をためると後々面倒になるからその場その場でやる。こういうことだ。
 ちょっとした手すきの時間にいろいろこなしていくマルチな人も原点は『面倒くさい』にあると思う。
 自分がそうだからそう思うのだけれどね。

 その作業を面倒と思わなければ一気にこなすこともできるのが『めんどくさがり』の本質。
 身近ななことで言えば、洗濯物をマメにやるのが面倒だから溜めてやるというのはあまり合理的な考え方ではない。水の節約や、時間も考慮したうえでその結論に至るなら合理的とはいえる。
 ただし、やらないという選択肢はない。
 その選択肢が存在するのはめんどくさがりではなく『怠慢』もしくは『だらしがない』に分類される。
 決してめんどくさがりと言うのは怠慢な人とイコールにはならない。
 
 めんどくさがりとは『二度手間』を嫌う。
 無駄な行動を好まない。一度でなるべく多くのことをこなそうとする。
 これがめんどくさがりの実態だ。
 もし、やりたくないから放置しているだけなら『生きる意味』を考え直す必要があると思う。
 それはただの怠け者である。生きる価値がそこにあるのだろうか?
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