今日は祝日か、俺仕事
文字数 1,751文字
数日書いてなかったっけ? と思いつつ。
今現在、かなりゲンナリしている。
たぶん日常的に怒られている人というのは、自分が不味いことをした時に怒られると思いやすい。
まあ、これは理解している。
ただね、怒らないよと言っているにも関わらず怒られたと感じているなら、それは俺の話を聞いていなかったの? と思う。
じゃあまずは苦情の基本。
怒っている人が何を求めているのか?
それは謝罪ではない。理解である。
怒っている理由について正しく理解して欲しい。これを客は望んでいる。
なので苦情の基本はまず相手の言い分を聞いて理解することなんだよね。
これは苦情処理の研修で教わったこと。教わったのは高校のバイトの時だけれど。
でも俺は今回怒ってはいないの。何故かというと、相手がちゃんと理解していなことを知っていたから。ゲンナリはしたけれど。
別に怒るよりもちゃんと説明して理解してもらった方が良いしね。
何故地雷を踏むのか? それは理解していないから。
それは例えばこういうこと。
電気が通っているものに水掛けたら感電するよね。それを理解しているからしない。
理解していないというのは、そのことがわかっていないということ。
だから『ドライヤーをオンにしているときに水をかけてはいけない』と教われば、ドライヤーには水はかけないけれど掃除機にはかける。こういうことをしてしまうわけ。
理解をしない人がよく怒られるのは、何故なのか理由を知ろうとしないから。
仕事ができて怒られたことがない人は理由を知っている。その違い。
じゃあ謝罪はなに? と言ったら反省の意を表明しているだけ。
なので謝罪というのは済まないと思うということも大事ではあるが、理解の延長線上に存在する。
繋がってはいるが、先には来ないの。だって何が悪かったのか分からないでしょ?
今回は何が問題だったのかと言えば、説明不足だよね。相手が理解していないと知りながら、説明しなかった。だって、嫌だと言ってあるわけだからしないよねって思った。
でも、それすら理解されていなかった。まあ仕方ない。起こってしまったことは後の祭りってわけで。
基本的に自分は、意図的に他人と関わらないようにしている。
それはめんどくさいから。
コメント欄を開けないのは批判が嫌というわけではなく、ズレたことを言った上に返信を読まない面倒な人がいるから。一方的がこの世で一番嫌いなのよ。
話し合う気がないなら、初めから来なきゃいいのね。
あとはなんか、ネコ語も嫌いだし挨拶だけの意味不明な奴も嫌いなので。
そういうのめんどくさいのよ。
なのでまともだなと思った人にしかコンタクトとりたくないの。
来なくていいよ、こっちから出向くので。こんな感じ。
今回は何が理解されなかったのか。これについては三年くらい言ってきた。ただ、上手い説明をしたことはないなと思う。
ここで質問。
あなたはレビューを褒められて嬉しいですか?
俺は全く喜べません。その理由をわかりやすく説明しようと思う。それを読んでも嬉しいと思うのであれば、俺とは思想が合わないんだと思う。
*珈琲店=作品 *チラシ=レビュー *お客さん=読者
例えば、珈琲店を経営しているとします。
最近お客さんが全然来なくてこのままではお店が潰れてしまう。そこでチラシを作ることにしました。我ながら素晴らしい出来で、これを見た人はきっとこのお店に来てくれるだろうと思いました。
翌日駅でチラシを配ると、思ったよりも受け取ってくれる人がいた。
もしかしたらこれで持ち直せるかもしれない。そう期待をしたのですが、お客さんは一人も増えませんでした。そして赤字経営になった珈琲店は仕方なく閉店することになりました。
閉店作業をしているさなか、駅でチラシを受け取ってくれた人が近づいてきました。
そして、
『チラシ素敵ですね。ポスター代わりに壁に貼っています』
と言われました。
レビューを褒められるというのは、こういうことなのね。
レビューに必要なのは上手さではない。読者が作品に繋がって、初めて意味がある。
俺がTwitterでレビュー活動をしても、増えたのはチラシファンだけなのよ。そう、レビューが好きって人だけ。何か喜べる要素ある?
今現在、かなりゲンナリしている。
たぶん日常的に怒られている人というのは、自分が不味いことをした時に怒られると思いやすい。
まあ、これは理解している。
ただね、怒らないよと言っているにも関わらず怒られたと感じているなら、それは俺の話を聞いていなかったの? と思う。
じゃあまずは苦情の基本。
怒っている人が何を求めているのか?
それは謝罪ではない。理解である。
怒っている理由について正しく理解して欲しい。これを客は望んでいる。
なので苦情の基本はまず相手の言い分を聞いて理解することなんだよね。
これは苦情処理の研修で教わったこと。教わったのは高校のバイトの時だけれど。
でも俺は今回怒ってはいないの。何故かというと、相手がちゃんと理解していなことを知っていたから。ゲンナリはしたけれど。
別に怒るよりもちゃんと説明して理解してもらった方が良いしね。
何故地雷を踏むのか? それは理解していないから。
それは例えばこういうこと。
電気が通っているものに水掛けたら感電するよね。それを理解しているからしない。
理解していないというのは、そのことがわかっていないということ。
だから『ドライヤーをオンにしているときに水をかけてはいけない』と教われば、ドライヤーには水はかけないけれど掃除機にはかける。こういうことをしてしまうわけ。
理解をしない人がよく怒られるのは、何故なのか理由を知ろうとしないから。
仕事ができて怒られたことがない人は理由を知っている。その違い。
じゃあ謝罪はなに? と言ったら反省の意を表明しているだけ。
なので謝罪というのは済まないと思うということも大事ではあるが、理解の延長線上に存在する。
繋がってはいるが、先には来ないの。だって何が悪かったのか分からないでしょ?
今回は何が問題だったのかと言えば、説明不足だよね。相手が理解していないと知りながら、説明しなかった。だって、嫌だと言ってあるわけだからしないよねって思った。
でも、それすら理解されていなかった。まあ仕方ない。起こってしまったことは後の祭りってわけで。
基本的に自分は、意図的に他人と関わらないようにしている。
それはめんどくさいから。
コメント欄を開けないのは批判が嫌というわけではなく、ズレたことを言った上に返信を読まない面倒な人がいるから。一方的がこの世で一番嫌いなのよ。
話し合う気がないなら、初めから来なきゃいいのね。
あとはなんか、ネコ語も嫌いだし挨拶だけの意味不明な奴も嫌いなので。
そういうのめんどくさいのよ。
なのでまともだなと思った人にしかコンタクトとりたくないの。
来なくていいよ、こっちから出向くので。こんな感じ。
今回は何が理解されなかったのか。これについては三年くらい言ってきた。ただ、上手い説明をしたことはないなと思う。
ここで質問。
あなたはレビューを褒められて嬉しいですか?
俺は全く喜べません。その理由をわかりやすく説明しようと思う。それを読んでも嬉しいと思うのであれば、俺とは思想が合わないんだと思う。
*珈琲店=作品 *チラシ=レビュー *お客さん=読者
例えば、珈琲店を経営しているとします。
最近お客さんが全然来なくてこのままではお店が潰れてしまう。そこでチラシを作ることにしました。我ながら素晴らしい出来で、これを見た人はきっとこのお店に来てくれるだろうと思いました。
翌日駅でチラシを配ると、思ったよりも受け取ってくれる人がいた。
もしかしたらこれで持ち直せるかもしれない。そう期待をしたのですが、お客さんは一人も増えませんでした。そして赤字経営になった珈琲店は仕方なく閉店することになりました。
閉店作業をしているさなか、駅でチラシを受け取ってくれた人が近づいてきました。
そして、
『チラシ素敵ですね。ポスター代わりに壁に貼っています』
と言われました。
レビューを褒められるというのは、こういうことなのね。
レビューに必要なのは上手さではない。読者が作品に繋がって、初めて意味がある。
俺がTwitterでレビュー活動をしても、増えたのはチラシファンだけなのよ。そう、レビューが好きって人だけ。何か喜べる要素ある?
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