抑止力にならなければ、なんの意味も成さないこと
文字数 1,237文字
俺は正直面白いものは書いていない。
おそらく書くこともできない。
何を書いたとしても、”それ”を占めているのは思想なんだよね。
書きたい物語があって、でも実際筆に乗せるのは『世界へ向けた思想』でしかない。
例えば『人をハッピーにしたい』と思う人もいれば、『夢を持たせたい』という人もいるだろうし、『ハラハラドキドキさせたい』と思う人もいるだろう。
じゃあ自分を占めている思想とはなにかというと『罪というのは犯してならないものだから、先人からの助言なり真理への道なり、論理的に基づいた講釈が存在する』ということ。
何言ってんだ、朝からこの人は。と思われるかもしれないが簡単に言えば『償っても罪は消えることはなく、なかったことにはならない』ということ。
だから人には『倫理道徳』を大切にし『常識良識』に基づき、その基準として【ルール】というものが存在するのである。
それは難しいことではない。
人が共存し、安心して生活するために『他人の領域や思想、命や自由を脅かさない』ためのルールがあるということ。
赤信号は止まれ。
これはあなたの命を守るためであり、交通を滑らかにするため、そして平等の理念に基づいて制定されているはずだ。交通の量が多い交差点で『24時間片方が赤信号』ということは通常あり得ないということ。
そんなことが日常的に起きていたら暴動が起こるでしょう?
それは平和とは言わないし、平等でもなければあなたの生活は脅かされていると言えるだろう。
そうならないように、信号は変わるものなのね。
レジでは順番に並びましょう。
これもまた同じ。譲り合わずに自分勝手に横から入っていたら、順番に並んでいた人たちはものを買うことができなし、その人たちに怒りを覚えるだろう。
結果暴動が起きるかもしれない。
順番が必要ないのは『譲り合いの精神』が根付いているか、教育がなされていない野生だから。
日本は良い国とは言えないかもしれない。
しかし、清潔で安全であり、圧倒的多数の国民がルールや秩序を守って生きている。
その中で秩序を乱す人間は害でしかない。
けれども日本ではその場で害虫駆除ができないので、法の場によって裁かれ『罰』が決まる。
ただし、よくドラマで言われるような『罪をしっかり償って』には違和感しかない。
例えば人を殺してしまったとする。
刑が決まって罰を受ける。
ただし、それは罪を償うことにはならないというのが俺の考え方。
なぜならその人は『誰に対して』罪を償っているのか? と思うから。
おかしいと思わない? その人が一生豚箱で過ごそうが、何も変わらない。反省したら人は生きかえるか? 死刑になれば生き返るのか?
そんなことはあり得ない。
本当に教えなければいけないのは『罪を犯したら罰を受けることになる』ことではない。
覆水盆に返らずということなのだ。
『罪を償う』一体だれに対して?
それこそ一生その家族の奴隷として生きればいい。それが本当の償いだろう。
おそらく書くこともできない。
何を書いたとしても、”それ”を占めているのは思想なんだよね。
書きたい物語があって、でも実際筆に乗せるのは『世界へ向けた思想』でしかない。
例えば『人をハッピーにしたい』と思う人もいれば、『夢を持たせたい』という人もいるだろうし、『ハラハラドキドキさせたい』と思う人もいるだろう。
じゃあ自分を占めている思想とはなにかというと『罪というのは犯してならないものだから、先人からの助言なり真理への道なり、論理的に基づいた講釈が存在する』ということ。
何言ってんだ、朝からこの人は。と思われるかもしれないが簡単に言えば『償っても罪は消えることはなく、なかったことにはならない』ということ。
だから人には『倫理道徳』を大切にし『常識良識』に基づき、その基準として【ルール】というものが存在するのである。
それは難しいことではない。
人が共存し、安心して生活するために『他人の領域や思想、命や自由を脅かさない』ためのルールがあるということ。
赤信号は止まれ。
これはあなたの命を守るためであり、交通を滑らかにするため、そして平等の理念に基づいて制定されているはずだ。交通の量が多い交差点で『24時間片方が赤信号』ということは通常あり得ないということ。
そんなことが日常的に起きていたら暴動が起こるでしょう?
それは平和とは言わないし、平等でもなければあなたの生活は脅かされていると言えるだろう。
そうならないように、信号は変わるものなのね。
レジでは順番に並びましょう。
これもまた同じ。譲り合わずに自分勝手に横から入っていたら、順番に並んでいた人たちはものを買うことができなし、その人たちに怒りを覚えるだろう。
結果暴動が起きるかもしれない。
順番が必要ないのは『譲り合いの精神』が根付いているか、教育がなされていない野生だから。
日本は良い国とは言えないかもしれない。
しかし、清潔で安全であり、圧倒的多数の国民がルールや秩序を守って生きている。
その中で秩序を乱す人間は害でしかない。
けれども日本ではその場で害虫駆除ができないので、法の場によって裁かれ『罰』が決まる。
ただし、よくドラマで言われるような『罪をしっかり償って』には違和感しかない。
例えば人を殺してしまったとする。
刑が決まって罰を受ける。
ただし、それは罪を償うことにはならないというのが俺の考え方。
なぜならその人は『誰に対して』罪を償っているのか? と思うから。
おかしいと思わない? その人が一生豚箱で過ごそうが、何も変わらない。反省したら人は生きかえるか? 死刑になれば生き返るのか?
そんなことはあり得ない。
本当に教えなければいけないのは『罪を犯したら罰を受けることになる』ことではない。
覆水盆に返らずということなのだ。
『罪を償う』一体だれに対して?
それこそ一生その家族の奴隷として生きればいい。それが本当の償いだろう。
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