恋愛観エッセイを書こうと思った理由

文字数 1,039文字

 恋愛論は坂口安吾のものしか知らないのだけれど、検索してもあまり書籍が出てこなかったんだよね。
 世の中には不倫する人が多くて、異性愛者だと思い込んでいる人も多い。
 パンセクシャルって自認は凄く少数だと思うの。
 でも実際は、もっといるはずなんだよね。

 異性が好き=異性愛者でもなければ、パンセクシャルの可能性がゼロではないと思う。
 肉体ありきが性愛者たち。
 精神ありきがパンセクシャル思想。
 だからパンセクシャル思想であっても、パンセクシャルとは限らない。
 勝手に思い込むのではなく、もっと自分自身と向き合って見たらいいと思うんだ。


 さてここで、26日放映だった相棒の話しでも。
 書こう、書こうと思いつつそのままになってしまっていた感想。

 相棒の1は再放送で観たことがあって、それ以外はあまり観たことがない。
 薫役の人に関しては色んな情報が飛び交っていた。
 スタッフたちと険悪な感じになってしまったとか。
 作品のことを思い過ぎて、ちょっと出過ぎたことをしてしまったんだろうね、とは思う。
 でも、彼の役は全体を引き立てる役でもあると思う。
 歴代のメンツをみても、薫ちゃんを越える存在感を醸し出せる人はいない。どっちかと言うと脇役であり、対等にはなれない。それは何故かというと、右京さんと薫ちゃんはタイプが真逆だからこそ互いを引き立てることのできる配役だったと思うのね。

 回が進むと、険悪だった二人は信頼関係を築く。
 どちらかと言うと一方的に薫ちゃんが右京さんに対して信頼していて、右京さんからすと単純な彼の行動は手に取るようにわかる。それがミスリードも引き起こす。
 26日放映の物語は完全にやられた感がある。
 騙されたよね!
 まさか、その人が犯人?! と。
 ヤな奴だなと思っていた人は実は凄く良い人で、泣けた。

 相棒の面白いところは『パターン化』されていないところ。
 犯人が分かって逮捕してー、事情聴いてとかではない。
 12、19日の放映の話しでは『殺人』をほのめかすところで終わっている。あの後、秘密裡に犯人は処刑されたのだと思う。

 そう、創作は自由なのだ。
 なにも、常に解決する必要はないし逮捕する場面を見せる必要もない。
 何を伝えたいのか? そこが大切だと思う。
 26日放映の相棒で感じたのは『格差』の問題。
 命は結局金で買える。金の有無が生きるか死ぬかを決める。
 不平等な世の中だよね。
 金さえあれば老害でも生き延びられるのだから。
 どっかの国の大量虐殺戦争犯罪人のように。
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