他人から認められたい人の心理が理解できない

文字数 768文字

 認められたいという感情がある限り、自分は下であると言っているようなものなのだ。
 人間は生まれながらに、自由平等であり通常は対等であるはず。
 それは年齢など関係ない。

 単に社会において年上は敬えなどと言われているだけであり、そこに人間としての”上下”は存在しない。
 会社や学校などの上下関係と人間としての上下というのはイコールではない。
 それはすなわち、列に並んでいたら年齢関係なく”平等に”並んだ順に順番が回ってくることを差し、お金を払えば”年齢や役職関係なく”その品物を手に入れることが出来るということ。
 人として平等とはそういうことなのだ。

 それなのに、他人から認められたいと考えるのは、”あなたが自ら他人よりも格下である”と言っているようなものなのである。平等であり対等ならば、他人から認められようが認められなかろうが、自分の目指すものを夢見て邁進し、好きな物語を紡げばいい。

 表現の自由は法律によって保障されているものであり、誰かが認めなくてもあなたの世界はそこに表現することが出来る。
 褒められたいという感情は大人にもあるにはあるが、他人と対等と考えた時、それは屈辱的な行為となる。子供が大人から褒められて嬉しいのは、明らかに大人が自分よりも上の存在だからなのだ。

 憧れの作家に褒められて嬉しい、尊敬している人に褒められて嬉しいという気持ちは理解することはできても、ただ漠然と他人から褒められたい、認められたいという気持ちは理解に苦しむ。
 そういう人はカースト制度に苦しめられているのだろうか? と思ってしまう。

 そして自分で自分を認められない人間は、誰からも認められることはないとも感じる。
 しっかりと自分を持った人間だからこそ、人は憧れを抱いたり尊敬の念を抱いたりするのではないだろうか?

 そんなことを俺は思うのである。
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