嫌いだった世界に何を願ったのか?

文字数 1,019文字

 純文学が書ける人って凄いなって思うんだよね。
 色んな作品を読んだけれど、純文学だなと思った方は二人だけ。
 ただ、純文学の定義って結構あいまいで人によって感じ方は違うと思うんだよね。
 
 あるアーティストが”人は分類してその型に填めたがる”というようなことを言っていたが(歌詞)、それは一理あるが分類や名前というのは共通認識を持つためにある。
 仕事をしている人は特に分かりやすいと思うが、名前のないものというのは説明が長くなる。
 説明を省くために名前をつけたりもする。(呼び名)

 それは例えば
 ”表の右側の1から7までの花に水をやって欲しい”という指示があったとして、仕事の中の一つだとする。 
 それを毎回いうよりも、
「表1,7ね」
で伝われば楽ということ。

 つまり名前というのは、何か説明する時に名前という共通認識を持つことが出来れば”省くことが出来る部分がある”ということに過ぎない。
 ただし、型に填めたがるというのも分かる。
 それは日本人が出る杭を打ちたがるという特性があるからだともいえる。

 先日、選挙のためにいろいろ動画などを見ていてある新しい政党がカルト集団だと誹謗中傷を受けていた。それもまた、出る杭は打たれるなのかもしれない。

 その政党に対して賛否両論あるし、考え方や受け取り方は様々。
 俺が感じたのはこの人には”カリスマ性”があるということだ。
 人を動かすにはいろんな方法があるが、”カリスマ性”というのは大きい。
 日本にはカリスマ性のある政治家はほぼいないと思う。
 人の意識が向かない政治というのは非常に危険。
 だから自〇党が自分たちのやりたい放題できる法案を打ち出した。これはとても危険な発想。
 意識が向かないというのは、何をしていても気づかれないということでもある。


 子供の頃、この世界が嫌いだった。
 この世に産まれた事実を呪いだと思った。
 それでも一人の独裁者によって、ここまで世界が地獄に化すとは思っていなかった。

 『世界が滅びればいい』
 それは子供の頃の願いではあったが、こんな風にたくさんの人が虐殺されたり、敵対することを願ったわけじゃない。
 人が人にやさしくできず破壊や争いばかりするなら、こんな世界なんていらないだろうと思ったに過ぎない。そして日本も変わりつつある。
 それは利己主義の人々が増えすぎたからなのだろう。
 古くから何度も高度文明は崩壊を繰り返している。
 俺たちは崩壊を食い止められるのだろうか?
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