それは、自分を例えにして想像するから

文字数 789文字

 たまに話している相手が、
「同性愛は気持ち悪い」
と言うことがある。
 ここで、相手を友人と称しないのは偏見を持つような相手は、友人ではないからである。

 それはさておき、気持ち悪いと思うのは”自分を例えにして想像するから”だと思う。
 そういう時、俺が思うのは、
「お前となら、同性でも異性でも気持ち悪いよ」
である。
 相手にも選ぶ権利はあるし、少なくともお前を選ぶことはない。そして、気持ち悪いのは、同性愛ではなくお前である。と、思うのだ。
 そんなことを言うのは男に多いのだが。

 性別について思うのは、性別とは見た目だけではないということ。特に恋愛が絡む場合はそう思う。見た目が女性でも自認が女性と限らない。そういう時、同性愛は気持ち悪いと言った男がその相手を好きになるとする。それは立派な同性愛だろう。
 偏見は自分の首を絞める行為でしかない。

 女体が好きと女性が好きはイコールではない。
 女体とヤりたいイコール異性愛者ではない。
 これはずっと言っているが。

 性愛は恋愛ではない。
 好きだからやりたい、と好きな相手とやりたいは別物だ。

 ところで、
「童貞気持ち悪い」
という人もいるが、そんなことは宣言しなければわからないことである。
 よって正しくは、
「童貞申告してくることが気持ち悪い」
のではないか? と思う。
 確かにそんなことを申告してどうしたいんだ? と言う話。それはあんたの問題で、周りの人間には関係ない。ちなみに、そんなことを言う女性がいるから、愛のない行為が蔓延しているのではないかと思う。
 世の中、悪循環が多い。

 とにかく、申告するのは気持ち悪いのでやめた方がいいと思う。
 恋人相手ならまだしも。他人にあなたの経験歴は関係ない。
 多くても少なくても、そんなものは他人に関係ない。モテるかどうかの基準にもならない。
 多いイコール上手いでもないしな。
 日々そんなことを思うのだ。
 
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