以前は書くより読むほうが好きだった、エッセイ

文字数 1,241文字

 俺は以前、凄く好きなエッセイを書く作家さんのファンだった。
 なんか日本語おかしいな。まあ、伝わればいいか。
 その人は日常であった面白いことや失敗などをエッセイにしていたんだよね。個人的にすっごく好きで、面白くてその人のエッセイばかり読んでいた時期がある。
 こんな風にエッセイを書くことが出来たらいいなと、エッセイストに憧れた時期もある。
 その人は別にエッセイが本業というわけではないんだけれどね。
 舞台作家? なんかよくわからないけど、そっちの方もやっていたりコピーライターもしていたりと『物書き』というのがしっくりくる作家さんだった。

 かなり年配の方で、その人を検索したときびっくりしたのは薬物で逮捕歴があったこと。
 その人のファンはあんな凄いのかけるんだから薬中でも不思議はないと言っていた。
 そういうものなのだろうか?

 面白いものばかり書いていたら、周りの期待もあって追い詰められていくのかもしれないね。
 でも自分と向き合って、無理ものは無理と諦めなければならないとも思うのよ。

 書き続けるために必要なのは可変と不変の入り混じった日常だと思うんだ。
 変わらないベースの上に、毎日少し変化があることが脳を刺激するのにとてもいい環境だと思う。
 その変化は求めるものではなく、自ら生み出すものが好ましい。何故なら待っていても必ず変化があるとは限らないから。

 さて、エッセイの話に戻るけれど。はじめから書けたわけじゃない。
 書いているうちに自分なりの流れを掴み、書けるようになった。
 
 なんでもそうだけれど、継続は力なりという。その本質に関して他の人がどう感じているのかわからないけれど、習慣化してしまえば多少休んでも戻れるというのも継続は力なりの一つだと思う。
 そして休むことは続けることよりも大変で勇気のいることだと思うんだよね。
 一度休んだら、もう続けられないかもしれないと感じたことはないだろうか?

 でもそんな心配はする必要はないんだよ。すべては自分の意思によって決まる。
 そこで止めてしまったなら、それもまた自分の意思であり運命なのだと思う。
 そこでまた進むことが出来たなら、それは実力。

 挫折を知らない人は強くはなれない。何故なら、立ち直り方を知らないから。
 好きな曲に、ネットの世界は世界と断絶しリセットすれば解決するという言葉があるけれど、そこで止めてしまってまた一から始めるのはきっと大変だと思う。

 書けない時は書かない。不安にならずにしっかり休む。
 また書くために。これができる人は意外と少ないのかもしれない。
 でも、書き続けて壊れるくらいなら一旦休むことが解決の糸口になることはあると思うんだよね。
 開き直ればいい。一時的に他にやりたいことがあるなら、それに集中すればいい。
 そこに書くためのエピソードがたくさん転がっているかもしれないしさ。

 けれども、ただ何かをやっているだけじゃ何の糧にもならない。
 常に糧になるように考える習慣をつけることも大切だと思う。
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