思想はガッツリと小説に反映されてしまうという話

文字数 1,799文字

 俺にもかつては厨二病のような時期があった。それは否めん。
 ちなみに二人格持ちなのは単なる『ON/OFF』の説明として記載しているもの。
 むしろこの現象は接客業に携わった人に起きやすい現象だとも思っている。

 例えばね、接客業をしていると『むかつく客』に対しても笑顔でいなければならない。我慢が強いられる。でもその状況に慣れ過ぎてしまうと『人間関係を円滑にするために』自動笑顔になってしまうんだよね。
 嫌いな奴に好かれてストレスということが多々起きる。
 
 主観だと『別に好きでも何でもない、単に争いを避けたいだけ』なんだけれど、度が過ぎると自動的に自分を偽るようになるので勘違いされやすくなる。
 演じたいわけではないのに、あたかもそんな風に受け取られるくらいに自然になってしまうわけよ。

 これを創作界で例えると、
 『微塵もうまいと思っていないのに』自然な感じで褒めてしまう。
 こういう現象が起きる。
 別に褒めるのは良いのよ。態度が嘘だとしても(愛想がいいってことだね)、嘘の言葉を吐くことはないから。つまり客観的に見て褒められないところを褒めることはないってこと。
 言葉には嘘はなくても、態度は嘘。これは理解され辛いかなあ?

 相手をいい人だとは思っている。でも好きではない人に、好きなんだと誤解を受ける対応をしてしまうってことね。本音からすると面倒だから関わりたくない、これ。
 何が面倒かというと、自分を好いているのでは? と思われるとやたら話しかけられたりするでしょ? それは非常に面倒。こっちは好きでもなければ、何の興味もないわけだから。
 これを意図せずに自然とやってしまう自分にストレスが起きるわけよ。すると根本的に他人と関わりたくないと思い始める。

 はっきりとした『ON/OFF』を持つことで自分をストレスから解放してあげられるようになる。
 つまり自分は今、OFFだから愛想よくしなくていいんだと自分に言い聞かせることが出来る。
 これがないとストレスで発狂しそうになるのよ。
 今は普段から人と絡まないようにしているんだけれどね、疲れるから。

 相手が悪いわけじゃないのよ。自動的に愛想よくなる自分につかれるだけ。

 さて、相変わらず話が逸れたけれど。
 その人の思想は我知らずして作品に反映されてしまうという話。
 俺の場合、何書いても哲学になってしまうんだよね。
 こう、自分の向き合い方がいつの間にか描かれてしまう。

 最近では、好きとはどう表現すればいいのか? を考えていて。
 互いに好きであると証明するにはどうしたらいいのだろうか? これが課題なわけよ。
 恋愛ものって、ただ好き好き言っていても伝わらないし、共感を得られることはないのね。

 恋愛ものに関しての共感というのは方向性が何個かある。
 主人公の立場からした相手。この人物の魅力を開放する方法。
 これだと、主人公に共感はしなくても『こういう人だったら好きになっちゃうよね』という共感を得られる。
 個人的に難しいのは主人公に感情移入させる方なんだよね。

 俺が他人に対して好きと感じるポイントはたぶん共感が得辛いと思う。
 仮に嫌いな部分があって、凄く嫌だなと思ったとしてもそれを含めてその人が作られていると考えるタイプの人間なのね、自分は。
 自分は今までに明確に恋愛感情を持ったことが一度しかないので、その時のことを例に挙げると
『この人って、なんで人が傷つくことを平気で言える人なんだろう?』
って思ったんだよね。
 俺、実は冗談言われるの嫌いだし、揶揄われるのも非常に不愉快なんだよね。
 なので第一印象凄く悪かったし、なんだこいつって思っていた。
 すっごく苦手な相手だったんだよ。
 でも好きという感情に変わると、まあいいかってなる。それも含めてその人だしね。

 いい人でいて欲しいとか思ってない。
 誰しも短所と長所があるわけだから。
 嫌なのは『いい子を演じている人』もしくは『いい子だと思われたい人』こういうのは好きじゃないね。
 いい人が良い人とは限らないでしょ。
 ただの有難迷惑かもしれないし。

 じゃあ恋愛もので『惹かれ合っている』ことにリアリティを醸し出すならどうしたらいいのか?
 それは価値観と思想の相違だと思うのよ。こういう考え方だから、互いに惹かれ合ったんだねという説得力ね。
 とは言え、実のところそんなに恋愛もの得意じゃないんだけどw
 
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