思想は自由で無限の

文字数 1,733文字

 俺のクソみたいな思想を読んで面白いのだろうか?
と、思いつつ俺は我が道を行く。

(*文中のでのあなたとは誰かを差しているのではない。語りかけである)

 創作界の奴らが小説を書くには理由があるだろう。小説家になりたいと思うやつもいれば、単に考えた物語を形にしたいと思うやつもいる。ただがむしゃらに、承認欲求を満たしたいがために書くやつもいる。
 だが、やりたいこと、夢を持ち進み続ける人たちはクソじゃない。
 やりたいことも夢もなく、他人を故意に傷つけることしかできないやつはクソだと思う。

 この世はバカみたいに広くて、アホみたいに狭い。
 世界を広く感じるか狭く感じるかは、自分次第。
 俺にとっては狭くて広い。

 好んで一人でいることを望む。
 孤独を選ぶ。

 あなたは食べるために生きるのか?
 生きるために食べるのか?
 願わくば後者であって欲しい。
 生きることに意味を見出(みいだ)していて欲しいなと思う。

 自分は基本的に、自分の思想に関して意見を求めてはいない。感想も求めてはいない。同調も共感も反対意見も欲しくはない。俺の思想はあくまでも俺のもの。
 何か思うところがあれば、自分で議題を立てて勝手に論文を書けばいい。俺は他人が何をどう思っていようが興味が無い。

 一人で静かに自分の思うことを文字にしてまとめる。
 アウトプットしているだけに過ぎない。

 人が何故他人に意見や同調を求めるのか?
 理由は簡単。
『自分が正しいか分からないから』
 
 俺からしたら、自分の個人思想の是非なんてどうでもいい、愚かな行為。
 他人に多大な影響を及ぼす人物は別として、あなたにも俺にもそんな力はない。あくまでも、その辺の雑草が何かほざいてる程度。他人に対して影響のない人間の個人思想の是非は、争いの元でしかない。
 つまり他人に意見を求めるから争いが起きる。人は自分と違うものを排除しようと抗う、未熟な生き物だから。

 創作界に誹謗中傷が蔓延している理由もそれだ。
 自分の作品に意見なんて求めるべきじゃない。
 創作界は狭い。”他人なんてどうでもいい”と思える人間が大部分を占めたなら、誹謗中傷なんて起こらない。つまりどうでもいいと思えない人間が大半を占め、何かを勘違いし自分が全て正しいと思い、嫉妬に狂った奴が大半だから誹謗中傷が絶えないということだ。

 そもそも自分が面白いと感じないものは、他人から見ても面白いとは言い難い。
 人の思想は様々。感じ方も好みも多種多様。
 人の好みは環境で変わる。

 例えば、自分の場合。
 父は洋楽が好きだった。そして洋楽やクラッシックを聴かされて育った。
 そのため英語が苦手にも関わらず、洋楽が好きで英語が耳に心地いい。
 映画やゲームなどのサントラなども好きだ。
 しかも我が家は邦画よりも洋画派。その為、好むのは洋画。
 結果として俺は、邦画や邦楽にはほとんど興味を示さない。

 それは、創作界で面白いなと感じる作品のチョイスにも影響を与えている。つまり、頭の中で洋画や洋ドラマに変換できる作品を好むということ。

 俺が進撃の巨人に酷く惹かれたのは、その思想(進撃の巨人の中での思想)と使用曲の影響も非常に多い。アニメの作中で使われている曲は英歌詞である。リズムもとても好み。
 このように、惹かれる要素というのは自分の思想や好みに影響されるだけ。総合して結果”人気作品”となるだけで、惹かれる理由は多種多様なのだ。
 世界には何十億という人間がいる。あなたの作品に対しての感想が億を超えていれば、大多数の意見や感想となるかもしれないが、何百、何千程度では少数派の意見や感想でしかない。

『そんなものに振り回されるな!』
と言いたい。

 我が道を貫け。
 この世界は可能性を秘めている。
 世界平和は諦めるしかないとしても。

 少なくとも日本ではまだ、思想は自由。
 自分の責任において自由。
 自分を誇れ。我が道をいけ。 

 他人に意見を求めているようでは、それは自分のものとは言えない。
 その思想が自分だけのものだと言えなければ、自信など持つことはできない。

 自分の敵は他人ではない。
 (おのれ)だ。自分を信じることのできない、弱い自分。
 この世に絶対正しいなんてことはない。
 正しい必要なんてない。創作は自由だ。
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