ジェンダー差別と格差は別として考えた方がシンプル

文字数 799文字

 気づけばあっという間に七月も終わり。
 進撃の巨人で感銘を受けた部分など語りたいが、日々に追われていますよ。
 困ったものだね。

 本日はこちらを宣伝。
 カクヨムオンリーで公開。
拝読中のお奨めエッセイ一覧(趣味、日常系)
https://kakuyomu.jp/works/16817139556989946765

 Twitterは連日地獄絵図。
 国葬のことと感染症のこと、フェミニストあたりでいがみ合っている。

 俺が思うに、ジェンダーについて差別と格差って別に考えるべきだと思うのね。
 差別と言うのは、思い込みやイメージの押し付けによって起こるものだと思うの。

 例えば男だからこう。女だからこうというのは押し付けでしかない。
 それは肉体と精神はイコールではないということ。
 性別での趣味趣向や思想をイメージで押し付けるのはやめようね、と言うのがジェンダー差別をやめようということだと思うんだ。

 それは人間なら人を好きになって当たり前、女性なら男をを好きになって当たり前など。
 個人で趣味趣向は違う。これを無くせば、ファンシーなお店であろうが、武骨なお店だろうが男女関係なく入ることが出来る。
 同じ意味合いで”区別”と言う言葉があるけれど、これはちょっとニュアンスが違うと思うんだ。
 それは男性体は男性トイレへ。女性体は女性湯へこれが肉体的な区別。

 肉体的な区別と言うのは、他人に対して不快にさせないために行われるもの。
 しかしながら、精神が別で同性に肉体を見られるのが嫌な人もいるよね?
 そのための多目的トイレであり、人前で裸になることを強制しないことが大切だと思うのね。

 そして格差については、男女だけに留まらない。
 同じ仕事量なら同じ賃金を。これは男女に限らない格差社会の問題だと思うの。
 日本は全部をまぜこぜにしすぎている。
 だからいつまで経ってもジェンダーについて揉めている。
 バカだと思うww
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